どーも、ShinShaです。
昨日、仕事の合間をぬって、新宿にある漱石山房記念館にGo To ショートトリップ。仕事で時々、早稲田に行くので、地下鉄駅近くの夏目坂周辺に、この記念館があることは知っていました。
そういえば、新宿区、歌舞伎町のコロナ騒ぎで大変ですよね。あてにならない国に頼らず、独自の新型コロナ対策、どんどん進めて下さい。がんばれ新宿区!
夏目漱石について
夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。
夏目漱石にはどんな功績があったのでしょうか? ネットで調べてみました。
1. 日本文学の歴史にとびきり面白い新作の小説をいくつも提供した
2. 日本に本格的な西欧風の長篇小説を根付かせた
3. 『心』や『道草』のような作品で日本的な私小説の成立に影響を与えた
4. 小説が非常におもしろくて、みんなから愛された
(https://www.excite.co.jp/news/article/Okguide_5179/ より)
漱石は、東大教授の座を蹴って、作家を目指して、朝日新聞に入社したのです。彼の小説掲載で、朝日新聞はずいぶん部数を伸ばしたそうですよ。
ここで、告白をしますと、理科系の私は、夏目漱石の著作はあまり読んでいません。記憶にあるのは、『こころ』、『草枕』、『坑夫』、『夢十夜』くらい。『草枕』はたしか、受験用に読んだんですね。しかし、受験科目に国語がある学校には一度も合格したことはない。記憶力が勝負の国語と社会科系の科目は大の苦手でした(涙)。
だから、今でも、私は文章が下手なんです。皆さんのブログを読んで何でこんなに上手いんだろう、といつも感動をしてます。私は、「偏愛」に生きるしかないか(笑)。
私が、漱石の作品で、もっとも感動したのは『こころ』です。高校時代に、とても感動して読んだことを覚えています。しかし、どうも細部まで明瞭には思い出せない。ググって、大まかなストリーを調べてみました。大分、記憶が戻りました。しかし、この本の最後は、高校生にはとうてい理解できない内容ですね。今一度、読み返してみたいと思いました。
漱石山房記念館
漱石山房記念館へは、今回初めての訪問でした。記念館は、静かな住宅地の中にあります。隣には、公園があって漱石の銅像も立てられています。
新宿区立漱石山房記念館
〒162-0043 新宿区早稲田南町7
電話 : 03-3205-0209 FAX : 03-3205-0211
開館時間 10時00分~18時00分(入館は17時30分まで)
観覧料(通常展):一般300円、小・中学生100円
住宅地にあるせいか、この記念館は、わりとひっそり存在しています。田舎だったら、これだけの歴史遺産なら、必ず土産物店や出店が立ち並びますね(笑)。そういうところも、非常に好感をもちました。
ShinShaは知りませんでしたが、漱石の作家活動期間は、わずか11年間なのですね。漱石は、当時の平均寿命より少し長い49歳で亡くなっています。彼は、短い創作期間に、人々に愛される多くの名作を残しました。そして、漱石山房で9年間の創作を行い、ここで亡くなったのですね。それを知ると、この記念館、感動的ですね。
漱石の書斎
そして、ShinShaが興味をもったのは 漱石の書斎の書斎です。文房具オタクの私には非常興味深いのです。
漱石が愛用したのは紫檀(したん)の文机(ふみづくえ)。上にあるのは、竹腕沈(たけわんちん)、万年筆、眼鏡入れ、象牙のペーパーナイフ、原稿用紙。下にはペルシャ絨毯と座布団。 右奥にももう一つ机があります。こちらは、漱石が俳句、書画を楽しむための道具や印が置かれています。
竹腕沈というのは、手ずれで筆跡を汚さないように腕を乗せる書道用道具で、オークションにいくつか出てました。原稿用紙は対の竜の頭のイラストと漱石山房の文字が入ったデザイン。(あー写真取ればよかった)
漱石が愛用した万年筆を調べると、英国オノト万年筆と出てきます。さらに調べると丸善で、復刻製品が出ているようですね。美しい万年筆ですね。リンクを貼りますね。
木曜会
この記念館に行って、漱石山房で行われた木曜会について知りました。漱石は、オープンで、素晴らしい人柄だったのですね。毎週、木曜日の夕方には、若い多くの文学者や、学者が漱石を慕って、山房に集まったそうです。メンバーには有名な人たち多いんですね。とはいえ、ShinShaは、内田百閒・寺田寅彦・和辻哲郎・芥川龍之介くらいしか知りません。岩波茂雄は岩波書店の創業者とのことです。
漱石は、まだ学生だった芥川龍之介の才能を見出し、いろいろアドバイスをしていたようです。木曜会からは、多くの優れた作家、学者、文化人が巣立っていきました。中には、彼の教師時代の生徒なんかもいるんですね。ちょっと、感動的なお話しです。
漱石の家には小宮豊隆や鈴木三重吉、森田草平などが出入りしていたが、作家としての名声が高まるにつれ来客が増えて仕事に支障を来すようになったため、1906年(明治39年)10月中旬ごろ、鈴木三重吉の提案により面会日を毎週の木曜日午後3時以降と定めた。この日は誰でも自由に来てよいことにしたので、かつての教え子以外の学生やその他の人物も多く来るようになった。漱石の書斎は、漱石が彼らと様々な話題について語り合い議論するサロンのような場となり、やがて木曜会と呼ばれるに至った。 よく集まる顔ぶれは小宮・鈴木・森田のほか、赤木桁平・阿部次郎・安倍能成・岩波茂雄・内田百閒・寺田寅彦・野上豊一郎・松根東洋城がいる。その他、中勘助・江口渙らの小説家や、和辻哲郎、滝田樗陰などの学者・文化人がおり、さらに後の新思潮派につながる芥川龍之介や久米正雄・松岡譲らも学生時代から参加していた。 漱石は徒弟制などを取らなかったので、阿部次郎は「(中略)先生は唯その寛容な心を以て、自然にその門に集って来る青年を接見して、之と話をしたり、その相談に預かったり、時としてはその世話をされたりしたに過ぎなかった。所謂先生の門下生となるには、唯先生の風を慕って、木曜日にその家の客となれば足りたのである」と述べている。
まとめ
今日は、新宿区にある漱石山房記念館をご紹介ました。展示、映像もなかなか充実していて、文豪夏目漱石を忍ぶ、良い記念館です。皆さんもよろしかったらどうぞ。都内には、こういう名所が沢山あるはず。どこにも、GO TOできない都民は、身近な名所を再発見しましょう。
漱石が晩年に至った境地として【則天去私】という言葉が書かれていましました。この意味は下記の説明のとおりです。素晴らしい言葉です。
【則天去私】小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。夏目漱石そうせきが晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。
漱石より、長く生きた私は、この境地には、まだ全然至っていません。ブログにたくさんアクセス欲しい(笑)。
今日もこのブログを訪問いただき、ありがとうございました。
あっ、そういえば、今はkindle本のセールでした。私は、『こころ』を、ここで買います。リンク貼りますので、皆さんもよろしかったら、どうぞ。
さらに、欲深い(笑)
今後ともよろしくお願いします。
ShinSha