時の化石

ブログ「時の化石」は、アート、ミュージック、ライフハックなどを中心に数々の楽しい話題を提供します。

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

ザ・ビートルズ 『LET IT BE』1970年。歴史に残る ビートルズ最後の大傑作。

どーも、ShinShaです。
今日はザ・ビートルズ 『LET IT BE』について記事を書きます。
ビートルズ、世紀の大傑作。
このアルバムは1970年5月8日に発売された13作目のアルバム。

ビートルズが事実上解散してから、約1か月後に発売されました。
本作には「アクロス・ザ・ユニバース」「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」など、数々の名曲が入っています。

ふたたびビートルズのこと

今日あらためてロン・ハワードザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』を観ました。
1965年以降にビートルズが経験したことをご紹介します。

f:id:tokinokaseki:20200730220721j:plain
映画『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』

日本公演そして悪夢のフィリピン公演

1966年6月29日、ビートルズは来日し、武道館でライブを行いました。
日本国内では、ライブ開催は神聖な日本の武道精神を冒涜すると、右翼が激しい反対運動を行いました。

久しぶりに、赤尾敏さんのお姿観ました(笑)。
ポールは、インタビューで「僕らは公演をしに来ただけ。何かを冒涜しようなんて思わない。」と話しています。
武道館ライブの映像では、彼等は、なかなか楽しそうに演奏しています。
しかし、日本の観客が静かなので自分たちの演奏が心配になった、というエピソードも残っています。

日本公演を終えたビートルズは、7月3日香港経由で次の公演地フィリピンへ。
7月4日にはマニラの野外スタジアムで10万人の公演を行います。
事件はその後に起きます。

ビートルズは、コンサートの後に、当時の大統領夫人イメルダ・マルコス主催のパーティーに招待されていました。
そうです、3000足の靴をもっていた、あのイメルダです。

ビートルズ側は過密なスケジュールのため、事前にこの招待を丁重に断ったそうですが、現地プロモータは、イメルダ夫人サイドに伝えていませんでした。
フィリピンのTVでは「裏切られた!」と叫ぶイメルダが映され、新聞は「ビートルズ、大統領一家を侮辱!」と報じました。

フィリピンの人々の中にビートルズに対する怒りと反感が広まりました。
空港で、ビートルズは怒りに満ちた人々に取り囲まれ、こづき回されもみくちゃにされました。

さらに、ようやく飛行に乗り込んだ後には、離陸許可が下りず、結局「コンサートの収入をすべて当局に渡す」という条件で、ようやく許可が下り命からがら脱出。
恐るべし、フィリピン。

いやぁ、フィリピンの話は凄すぎです(笑)。
日本でも、来日後は、厳重に警備が行われ、ヒルトンホテルから一歩も出られなかったそうです。
ビートルズは、世界中の政治までを刺激する大きな存在になっていました。
本当にすごいな。

f:id:tokinokaseki:20201021144111j:plain
"beatles 4" by beatles maniac11 is licensed under CC BY 2.0

 アメリカ公演そして、レコーディングアーティストへの移行

1966年8月、ビートルズは再び公演のため渡米。
ジョン・レノンの「僕らはキリストより有名」という不用意な発言から、アメリカではビートルズの排斥運動が起こっていました。
この3週間のツアーも悪夢となっていまいます。

クリーブランドのライブでは、音響が悪く観客がステージに押し寄せ、暴動寸前の事件が起き、メンフィスでは爆破予告がありました。

セントルイスでは、どしゃぶりの中で感電の危険があり、サンフランシスコ公演では、安全のため囚人護送車でスタジアムの中を移動。
囚人護送車の中で、ジョンは「もうこんなことは終わりにしよう。沢山だ!」と語り、他のメンバーも同意。
ビートルズのライブはこれ以降、開催できなくなってしまいました。

そして、彼らはレコーディングアーティストとして、しぶとく生き残った。
僕はこれ以降のビートルズが、リアル・ビートルズだと思うのです。
彼らは、思索的になり髭をはやし哲学者か学者のような風貌に変わっていきます。

スタジオにこもり音楽に専念して、作り上げた最初の作品が1967年『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。
当時は、ビートルズから開放されるために新しいバンドの名前が必要だった。
そして、それ以降、ビートルズは4年間で5枚のアルバムを制作、優れた作品を生み続けたのです。

1967年サンフランシスコ公演の後、ビートルズは1回だけライブを行ってます。
それは、1969年1月にロンドン、アップル社の屋上でゲリラ的に行った「ゲット・バック・セッション」ライブです。
別名「ルーフトップ・ライブ」とも呼ばれています。

この時の映像がYouTubeにありました。リンクを貼っておきますね。

www.youtube.com

f:id:tokinokaseki:20200801211733j:plain
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』1967年

アルバム『レット・イット・ビー』(Let It Be)1970年

  01.「トゥ・オブ・アス」(Two Of Us) 02. 「ディグ・ア・ポニー」(Dig A Pony) 03. 「アクロス・ザ・ユニバース」(Across The Universe) 04. 「アイ・ミー・マイン」(I Me Mine) 05. 「ディグ・イット」(Dig It) 06. 「レット・イット・ビー」(Let It Be) 07. 「マギー・メイ」(Maggie Mae) 08. 「アイヴ・ガッタ・フィーリング」(I've Got A Feeling) 09. 「ワン・アフター・909」(One After 909) 10. 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road) 11. 「フォー・ユー・ブルー」(For You Blue) 12. 「ゲット・バック」(Get Back)

f:id:tokinokaseki:20200801211839j:plain
『LET IT BE』1970年
やっと、本題の『レット・イット・ビー』にたどり着きました。ふう。
Wikipediaを調べると、このアルバムは1970年5月8日に発売された、13作目のアルバムで、ビートルズが事実上解散してから約1か月後に発売されました。
発売から、なんと50年経っているのですね。
今日は何回も聴いてますが、ぜんぜん、そんな古さは感じませんね。
いつものように、曲の感想を書きますね。

Apple Music Link

 

アクロス・ザ・ユニバース」(Across The Universe)

シンプルなアコースティックギターのイントロから始まります。 ボーカルはジョン・レノンです。
美しいメロディです。
僕は、このジョン・レノンの歌、大好きです。 ビートルズの演奏の上に、ストリングスとコーラスが入ってきます。
素晴らしい曲です。

延々と喋り続ける当時の奥さんにイライラしたジョンが、階下におりると宇宙の歌へと変わった。
ここが彼の天才的なところなんですね。
前半のところ、少し分かるかも(笑)。
繰り返し歌われる "Jai Guru Deva Om…" は、サンスクリット語マントラです。
後に、この曲は最高傑作かもしれないと、ジョンは語っていたそうです。  

「アイ・ミー・マイン」(I Me Mine)

ジョージハリソン作の曲。
歌詞には、『いつもいつも僕が、僕が、僕が』と頑なに自分の事のみを主張し、またそれを曲げようとしない人」の姿と、「それに振り回されて大変な目に遭う『みんな』の様子が描かれている。(wikipedia)
当時、不仲だったポールのことを揶揄しているそうです。

イントロのギターが素晴らしい。
美しいメロディが続いていき、途中から転調して、ロックンロールに、かっこいいアレンジです。
僕はジョージの作曲能力も素晴らしいと思います。
「ホワイル マイ ギター ジェントリー ウイープス」、「サムシング」大好きです。
この曲も、ジョージの素晴らしい曲のひとつです。
  

「レット・イット・ビー」(Let It Be)

誰しも認めるポール・マッカートニーの名曲。
メロディが綺麗なので、当時の田舎の中学生や小学生も、意味も分からず「レリピー」などと歌ってました。僕もその一人。

分裂しそうなビートルズの状況に、ポールが悩んでいると、亡くなったお母さんが頭の中に浮かんできて「そのままを受け入れるのでですよ」と語った。
このエピソードが歌詞となったといわれています。
しかし、この素晴らしい歌詞ですよね。

この曲ではポールはピアノを演奏していて、ベースはジョンが弾いているそうです。
へぇ〜知らなかった。
この曲は、ポールのピアノの弾きがたりから始まります。
美しい曲です。
きれいなコーラスが入ってきます。
中盤から、電子オルガン、リードギターリズムセクションが入ってきて、曲のイメージが大きく広がっていきます。
何回聴いても美しい名曲です。

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road

ポール・マッカートニーの美しい曲。
ポールは「あの頃の僕は疲れきっていた。
どうしてもたどり着けないドア、達し難いものを歌った悲しい曲だよね。
終点に行き着くことのない道について歌ったんだ」と語っている。
僕は、悲しい恋の歌と思っていましたが、どうやら違うようだ。

  この曲はポールのピアノ弾きがたりにオーケースラが被せられている。
ポールのリリカルなボーカルが良いですね。
ストリングスのメロディが、悲しいほど美しい。
『Let It Be...Naked』に別バージョンが入っていますが、楽曲としての魅力が数段落ちるように感じます。
これは、フィル・スペクターアレンジもすごいね。
言うまでもなく、すばらしい名曲です。

レット・イット・ビー

レット・イット・ビー

Amazon

ロン・ハワードの『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』はamazon プライムビデオで

 

あとがき

今日は、ザ・ビートルズ 『LET IT BE』について紹介しました。
併せて、1966年以降のビートルズについて、映画『EIGHT DAYS A WEEK』とwebsiteの情報をまとめて、書いてみました。
『LET IT BE』が発売されてから50年か。
感慨深いですね。

今日もこのブログを訪問いただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
ShinSha