時の化石

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連載記事『日本最古の歴史小説 古事記を読もう』(その9) ヤチホコの神語 1500年経っても男と女の物語は変らない

どーも、ShinShaです。

今回は連載記事『古事記を読もう』第9回の記事。今回はヤチホコ神語の歌。オオクニヌシはヒスイを求めて新たな旅に出ます。しかし、正妻スセリ姫の嫉妬が。。。

ヤチホコは、オオクニヌシの別名です。今回はヤチホコの北陸の姫への恋と、妻スセリ姫の嫉妬を歌った物語です。じっくり読むと古代のユーモアとエロスを感じます。

古事記に合わせて今回も長文になってしまいました(涙)。お正月休み中にでもお詠みくださいね。

古事記の面白さ

古事記は、およそ1500年前に書かれた現存する日本最古の歴史書です。語り言葉を生かした漢文体で書かれています。日本書紀は、古事記ができてから8年後に、本格的な歴史書を作ろうという動きの中で作られた正史です。中国に習って漢文体で書かれています。

古事記の魅力は、正史である日本書紀には書いてないヤマトに生まれた王権によって日本列島が統一される以前の物語が書いてあることです。ヤマト王権に、逆らい敗れた者たちの悲劇のドラマが生き生きと書かれているのです。これこそ、大河小説ではないか。

しかも、全てが空想の物語ではなく、関連する遺跡が発見されていたり、縄文文化とも関わりがあるのです。古事記とは何なのか。何が書かれているのか? 大きな興味を感じます。

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寛永版本 古事記國學院大學古事記学センター蔵) 引用:Wikipedia https://commons.wikimedia.org/wiki/Special:Search/しんぎんぐきゃっと

ヤチホコの神語

「ヤチホコの神語」は、他の神話部分とは異なる長編の歌の形式で書かれています。副読本では、この部分は芸能者が踊り歌いながら伝えた伝承を掲載したものと書いています。

実はこの部分をブログの記事から省略しようかなとも思ったのですが、読み込んでいくとなかなか面白く、さらに重要な部分もあるので捨てきれませんでした。

歌をじっくり読むとエロチックで楽しいですね。古代の大らかさを感じます。書けなかった部分は皆さんの想像で補ってくださいね、

ヌナガハ姫とヒスイ

[テキスト]

――長い歌の贈答を中心とした物語で、もと歌曲として歌い伝えられたもの。――

このヤチホコの神(大国主の命)が、越の国のヌナカハ姫と結婚しようとしておいでになりました時に、そのヌナカハ姫の家に 行つてお詠みになりました歌は、

ヤチホコの神様は、

方々の国で妻を求めかねて、

遠い遠い越(こし)の国に

賢い女がいると聞き

美しい女がいると聞いて

結婚にお出ましになり

結婚にお通いになり、

大刀の緒もまだ解かず

羽織をもまだ脱がずに、

娘さんの眠つておられる板戸を

押しゆすぶり立つていると

引き試みて立つていると、

青い山ではヌエが鳴いている。

野の鳥の雉(きじ)は叫んでいる。

庭先でニワトリも鳴いている。

腹が立つさまに鳴く鳥だな

こんな鳥はやつつけてしまえ。

 下におります走り使をする者の

 事の語り伝えはかようでございます。

ヤチホコの神(大国主の命)は、越の国の姫と結婚しようと、

越(こし)の国ヌナガハ姫の家に行つて歌を詠(よ)みました。

ヤチホコの神と呼ばれる私は 治める国では良い妻がいないので 

遠い遠いこの越(こし)の国に 賢い女がいると、美しい女がいると聞いて

結婚を求めて立って、遠くまで通ってきた 

太刀の紐さえ解くのももどかしく 旅の衣を脱がないで

娘の眠っている板の戸を 押し揺さぶり、わが立ちなさると 戸を引いてみては わが立ちなさると

青い山ではヌエが鳴き、野の雉(きじ)は叫んでいる。 庭先でニワトリも鳴いている。

腹が立つうるさい鳥どもだ、こんな鳥は殺してしまえ。

 従う者の語り伝えはこのようでございます

ヤチホコ(八千矛)の神はオオクニヌシの別名です。この名前についてはたくさん矛(ほこ)を持っている武力に優れた神という意味と、立派なホコ、いわゆるもう一つのホコを持っている神の意味があります。副読本では、前後の文脈から、もう一つのホコ、色事に長けた神という説を支持しています。

古代の結婚とは、国の領有を意味します。越(こし、原文では高志)の国は、北陸にあった国を意味し、ヌナガハ姫とは「ヌ(石玉)+ナ(〜の)+カハ(川)」の姫という意味です。

1950年頃、新潟県糸魚川周辺で縄文中期以降のヒスイを加工した工房の遺跡が多数発見され、ここで作られた勾玉や玉などの加工品が、日本の各所へ流通していたことが明らかになりました。糸魚川周辺は古代、東アジア唯一の、ヒスイの産地だったのです。

当時ヒスイは貴重な贈答品として、水運、陸運により日本各地に運ばれたのです。何と沖縄や北海道まで!縄文人、恐るべし。

この発見から、ヤチホコによる越の国への遠征は、ヒスイを手に入れるための重要な遠征であることが明らかになりました。 

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ヒスイ大珠 新潟県歴史博物館展示

inazakira, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons


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そこで、そのヌナガハ姫が、まだ戸を開けないで、家の内で歌いました歌は、

ヤチホコの神樣、

萎(しお)れた草のような女のことですから

わたくしの心は漂う水鳥、

今こそわたくし鳥でも

後にはあなたの鳥になりましよう。

命長くお生き遊ばしませ。

 下におります走り使をする者の

 事の語り傳えはかようでございます。

青い山に日が隱れたら

真暗な夜になりましよう。

朝のお日様のようににこやかに来て

コウゾの綱のような白い腕、

泡雪のような若々しい胸を

そつと叩いて手をとりかわし

玉のような手をまわして

足を伸ばしてお休みなさいましようもの。

そんなにわびしい思いをなさいますな。

ヤチホコの神様。

 事の語り伝えは、かようでございます。

それで、その夜はお会いにならないで、翌晩お会いなさいました。

ヌナガハ姫は、戸を開けないで、家の中から歌いました。

いとしいヤチホコの神樣、風になびく草のような女ですから 

わたくしの心は漂う水鳥、今はわたくしの鳥でも  

後にはあなたの鳥になりましよう。 鳥たちの命は、どうぞお助けくださいませ。

 従う者の語り伝えはこのようでございます。

青い山に日が隱れたら 真暗な夜になりましよう。

朝のお日様のようににこやかに来て

コウゾの綱のような白い腕と 泡雪のようなわが若きふくらみを

そつと手で抱き  手をまわしていとおしみ

足のびやかに 尽きぬ添い寝をいたすゆえ

はげしく強い 恋のこがれも今しばらくは

いとしいヤチホコの神様。

 語り伝えは、このようででございます。

その夜は会わず、翌晩ヤチホコの神とお会いになったのです。

どうもテキストはいけませんね。高校生の教科書のように品行方正すぎる。

副読本の説明を加えて訳しました。ちょっと色っぽくなりました。尽きぬ添い寝。。。こ以上は解説致しません(笑)。

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ヌナガハ姫像

photo: Qurren Taken with Canon IXY DIGITAL 10 (Digital IXUS 70) - 新潟県糸魚川市、海望公園に屋外展示。, 日本著作権法46条/米国フェアユース, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=3187785による

スセリ姫の嫉妬

[テキスト]

またその神のお妃スセリ姫の命は、大変嫉妬深い方でございました。

それを夫の君は心憂く思つて、出雲から大和の国にお上りになろうとして、お支度遊ばされました時に、

片手は馬の鞍(くら)に懸け、片足はその鐙(あぶみ)に踏み入れて、お歌い遊ばされた歌は、

カラスオウギ色の黒い御衣服(おめしもの)を

十分に身につけて、

水鳥のように胸を見る時、

羽敲(はたた)きも似合わしくない、

波うち寄せるそこに脱ぎ棄て、

翡翠(ひすい)色の青い御衣服(おめしもの)を

十分に身につけて

水鳥のように胸を見る時、

羽敲き(はたた)もこれも似合わしくない、

波うち寄せるそこに脱ぎ棄て、

山畑に蒔いた茜草をひいて

染料の木の汁で染めた衣服を

十分に身につけて、

水鳥のように胸を見る時、

羽敲きもこれはよろしい。

睦(むつま)しのわが妻よ、

鳥の群のようにわたしが群れて行つたら、

引いて行く鳥のようにわたしが引いて行つたら、

泣かないとあなたは云つても、

山地に立つ一 本ススキのように、

うなだれてあなたはお泣きになつて、

朝の雨の霧に立つようだろう。

若草のようなわが妻よ。

 事の語り伝えは、かようでございます。

お妃スセリ姫の命は、大変嫉妬深い方でございました。

ヤチホコ神はわずらわしく思って、出雲から大和の国に出かけようと、支度をしながら

片手は馬の鞍(くら)に懸け、片足はその鐙(あぶみ)に踏み入れて歌を詠まれた。

カラス色の黒い衣を すきなく粋に着こなし 

羽繕いする水鳥のように 胸元を見れば  

着心地たしかめ これは似合わない

波うち寄せる所に脱ぎ棄てた

翡翠(ひすい)色の青い衣を すきなく粋に着こなし 

羽繕いする水鳥のように 胸元を見れば  

着心地たしかめ これも似合わない

波うち寄せる所に脱ぎ棄てた

山の畑に蒔いた茜草を臼(うす)でひいた 

木の汁で染めた衣服を すきなく粋に着こなし 

羽繕いする水鳥のように 胸元を見れば  

着心地たしかめ これはお似合い

いとおしいわが妻よ、

鳥の群のようにわたしが旅立ったら  引いて行く鳥のようにわたしが皆を引き連れ行ったら、

泣かないとあなたは言っても 山のふもとの一 本ススキのように、

うなだれてあなたは泣くだろう  朝の雨の霧に立つように涙に濡れる。

若草のようなわが妻よ。

 語り伝えは、このようでございます。

嫉妬深いスセリ姫に嫌気がさして、ヤチホコは黒、青、茜と着物を派手に変えて、今にも馬に乗って、ヤマトに旅立つぞと言いながら、妻に歌を詠む。あんまり嫉妬するなら、出ていくぞと言いたかったのです。

古事記出雲神話に中で、ヤマトが出てくるのは2箇所だけ。ここの表現では、出雲よりヤマトの方が、国が栄えていることを思わせます。ヤチホコは、にぎやかなヤマトに出かけてしまうぞと歌を詠みました。

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jealousy

"Winsor McCay, 1930 - JEALOUSY" by Alan Light is licensed under CC BY 2.0


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[テキスト]

そこで、そのお妃が、酒盃をお取りになり、立ち寄り捧げて、お歌いになつた歌、

ヤチホコの神様、 わたくしの大国主様。

あなたこそ男ですから

廻っている岬々に

廻っいる埼ごとに

若草のような方をお持ちになりましよう。

わたくしは女のことですから

あなた以外に男は無く

あなた以外に夫はございません。

ふわりと垂れた織物の下で、

暖い衾(ふすま)の柔い下で、

白い衾のさやさやと鳴る下で、

泡雪のような若々しい胸を

コウゾの綱のような白い腕で、

そつと叩いて手をさしかわし

玉のような手をして 足をのばしてお休み遊ばせ。

おいしいお酒をお上り遊ばせ。

そこで 盃 を取り交して、手を懸け合つて、今日までも鎭まつておいでになります。

これらの歌は神語(かむがたり)と申す歌曲です。

そこで、スセリ姫は杯を取り、ヤチホコに捧げて歌を詠みました

ヤチホコのいとおしい神様、わたしの大国主様。

あなたは男ですから  廻っている岬のあちこちに 廻っている埼ごとに

若草のような妻をお持ちになりましよう。

わたくしは女ですから あなた以外に男は無く  あなた以外に夫はございません。

ふわりと垂れた織物の下で、  暖い衾(しとね)の柔い下で、

白い衾のさやさやと鳴る下で、

コウゾの綱のような白い腕と 泡雪のようなわが若きふくらみを

そつと手で抱き  手をまわしていとおしみ

足のびやかに 尽きぬ添い寝をいたすゆえ

おいしいお酒をお上り遊ばせ。

そして杯を交わし、互いの首に手をかけて、今に至るまで鎮座しておられる。

これらの歌は神語(かむがたり)という歌曲です。

最後の部分、「今に至るまで鎮座しておられる」という部分ですが、国学院のホームページではまだ解明ができていないと解説してます。

根の堅州国から戻って後、突然八千矛神の名となって妻問い・嫉妬の歌物語が記され、そしてここに適妻と共に鎮まると記される。それは大国主神の国作り神話の文脈の中でどういう意味を持つことであるのか、未だ明確ではない。天皇による治天下の先駆け的意味を持つこの部分をどのように捉えて行けば良いのか。子を成さない「適后」とともに「鎮座」することの意味については今後も検討が必要であろう。

引用:國學院website http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/

ヌナカハ姫とスセリ姫の歌の後半は同じになっています。しかし、女性からの返歌の方が、はるかに大胆だなぁ(汗)。

スセリ姫が、嫉妬深いって2回も書いてありましたが、今回の話では可愛いものではありませんか。現代の女性と比べたら、。。。以下自主規制です(笑)。

飛鳥村から出土した石神像(せきじんぞう)

ところで、副読本には奈良県飛鳥村から出土した石神像について記載されていました。気になったのでググると画像が出てきました。素朴な石像ですね。

この出土品は抱き合う男女の石像で、男の口もとの杯から噴水が出る仕組みとなっており、まさしくヤチホコの神語の最後を表したものだろうと。この石神像は7世紀の池に置かれていたものだと考えられれています。

この長編歌謡が当時は多くの人々に広く知られ、石像にもなっていたと思うと、とても興味深いです。前の節の「今に至るまで鎮座しておられる」とは、これと同じような石神像がどこかに祀ってあったような気がしますね。

これは、噴水である。飛鳥時代の庭園に使われたもので、水は底から通じた孔を上り、男の口に当てた盃と、女の口とからあふれ出るようになっている。今は、盃の下が欠けていて、枝分かれした孔が見える。異国風の風貌が注目される。 1903年明治36年)に、当館西南600mの石神の地で掘り出された。1930年代以来、道祖神の名でも親しまれている。

引用:奈良文化財研究所 飛鳥資料館ファン倶楽部

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引用:奈良文化財研究所 飛鳥資料館ファン倶楽部 https://www.asukanet.gr.jp/ASUKA2/ASUKAISI/sekizinzou.html

本ブログで古事記をご紹介する方法について

このブログでは、テキストとして、青空文庫古事記』現代語訳 武田祐吉を使用します。この本は初版が1956年と古いので、副読本として三浦佑之著『読み解き古事記 神話編』朝日新聞出版を使用します。副読本を使って、現代的な解釈を補ってもらうことにします。

ブログ記事の範囲は、個人的に興味がある、古事記の上巻、神話部分と致します。全文を読むのは、大変な労力となりますので、独断と偏見で、「重要だ」、「面白い」と判断した部分のテキストを引用して、その解釈と感想について記事を書いていくことにします。また、できるだけ、インターネットの特長であるビジュアルな記事としたいと思います。

少しずつ、古事記の勉強を進めていきたいと思います。興味のある方は、ぜひ、一緒にを勉強していきませんか。

三浦佑之著『読み解き古事記 神話編』は、古事記研究の第一人者の書いた本です。これまでの研究成果を踏まえて分かりやすく、現代的に古事記のすべてを解説してくれます。オススメの素晴らしい本です。ぜひ。

読み解き古事記 神話篇 (朝日新書)

読み解き古事記 神話篇 (朝日新書)

 あとがき

今回は、ちょっと変わった長編の歌についての内容でしたが、なかなか面白かったですね。こういった多くの物語が、古代から伝統芸能として伝わっていたんでしょうね。何せ古事記が最古の歴史書ですからね。

今回の記事では、1500年経っても男女の関係は大して変わらないことを痛感しましたね。やっぱり古事記は面白い。

今日もこのブログを訪問いただき、ありがとうございました。

古事記の連載はまだまだ続きます。今後ともよろしくお願いします。

ShinSha

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