時の化石

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東日本大震災10年で考えたこと 復旧、復興より新しい希望を

あらためて、震災で亡くなられた方々とその御遺族に対し哀悼の意を表します。
確認された死者・行方不明者は1万8000人以上。
あってはならない大災害でした。

何かの縁で、震災と関係がある仕事をするようになり、2012年から宮城県福島県を度々訪問することとなりました。
今回は、10年を振り返って考えたことを書きたいと思います。

様々な震災の場所に行って感じたことは、人間は歴史・自然につながって生きていかなければならないということです。
東日本大震災は、そこが大きな反省点であったと考えます。

福島原子力災害で生じた環境被害を元に戻すことはできません。
また、廃炉デブリ取り出しには相当の時間と、莫大な費用が掛かります。
震災後10年、これまでの対応を見直すべき時期がきたのではないでしょうか。

従来型の復旧・復興より被災地域に新しい希望を作ること。
それが何より大事だと考えます。

宮城県

津波で大きな被害を受けた南三陸町を訪問したのは2013年3月でした。
この地を高さ20mの津波が襲ったのですね。
見渡す限り周りには何も無くなって、多くの職員が亡くなられた防災対策庁舎の骨組みが建っていました。
痛切な悲しみを感じました。
しばらく立っていると激しい孤独感を感じ、自然の中で人間がいかに小さな存在であるかを思い知らされました。

防災庁舎は2031年までは県が管理することになっています。
現在でも保存か解体か意見が分かれているそうです。

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南三陸町防災対策庁舎周辺2013年3月撮影

石巻市では海岸から2km離れているJR石巻駅でも水深5mを超えるような津波被害がありました。
津波が川を遡ったのです。
タクシー運転手さんから、ご遺体の捜索に加わって、ご近所の人を何人も安置された話を伺いました。
多くの小学生が亡くなった大川小学校にも訪問しました。
悲しい悲しい記憶が残っていました。

写真は石巻市津波被害で発生したゴミ(災害廃棄物)を焼却したプラントの写真です。
津波で発生した廃棄物は300万トン。
5基の焼却炉が稼働わずか2年で解体撤去されました。
大災害から早期の復旧を目指す気持ちは理解できます。
しかし、県はもう少し経済性を考えることはできなかったのかと感じました。

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石巻市津波堆積物焼却移設

福島県

女川原子力発電所福島第一原子力発電所

原子力発電所について思い出したことを書きます。
東北電力女川原子力発電所は、東京電力福島第一原子力発電所よりも震源に近い位置にあるのに大きな被害は受けませんでした。
両方の原子力発電所とも、同じ米国ゼネラルエレクトリック社の原子炉マークⅠを使用しています。

福島第一原子力発電所は壊滅的な被害を受け、未曾有の原子力災害を引き起こしました。
一方の女川原子力発電所は大きな被害は発生せず、震災時に地元住民の避難場所にもなりました。
両者の差は何だったのか?

東北電力は、平安時代に起きた貞観地震の記録を調べており、発電所を標高15mに立地しました。
一方の東京電力は、利便性を優先して発電所を標高10mに立地。
高さ5mの差が、災害時の被害の程度を大きく分けるこになりました。

女川原発については、副社長を勤められた技術者が立地条件の決定に関与されたそうです。
個人的には、裁判判決のように、東京電力幹部が、建設計画時に津波を予見できなかったとは思いません。
この話はわりと有名な話でしたが、メディアが取り上げなくなったのです。

最近、宮城県女川原子力発電所の再稼働に同意したニュースが流れてきましたが、背景にはこうした事実も影響していると思います。

福島第一原子力発電所廃炉デブリ取り出し

福島第一原子力発電所廃炉デブリ(溶け落ちた核燃料)取り出しについては、これから約30年をかけて行う計画になっています。
この費用は政府試算で8兆円。
どうせ、この試算どおり終わるとは思えません。

下の表を見るとアメリカ、ロシアがいかに時間をかけて対応を考えているか分かります。
放射能の減少を待ち、技術の進化を待ちながら、世論の動勢を判断するのでしょう。
(実際は処理を放棄しているかもしれませんね。)

数回、IRID(技術研究組合 国際廃炉研究開発機構 )の研究イベントに参加したことがあります。
個人的な見解ですが、廃炉デブリ取り出しは不可能に近いと思います。
2021年から、デブリ取出しを始める計画となっています。
しかし、溶け落ちた核燃料がどこに、どれだけの量、どのような形であるのか、いまだに分かっていません。

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各国の原発大事故と事故処理計画の概要
京都大学大学院 経済学研究科 http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/renewable_energy/stage2/contents/column0121.html

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Fukushima

"Fukushima *" by Sterneck is licensed under CC BY-NC-SA 2.0

除染

福島原子力災害で放出された放射性セシウムの量はおよそ 30PETA(10の15乗)ベクレル。
現在も、この約80%が福島県内の山林の中に残っています。
山林は除染をしないので、放射能が減るのを待つしかありません。
山や森は事故前に戻すことはできないのです。

住居地域、農地などの表面を削って発生した除染土は1400万立方メートルあると計算されています。
この除染土は、中間貯蔵施設に一時的に貯蔵して、2041年までに福島県外に持って出る約束となっています。
県外のどこに除染土を持っていくのか、まだ決まっていません。
そもそも受け入れる自治体があるのでしょうか?

2021年度には、安全性を確認しながら、除染土の一部を飯館村で再生利用することになりました。
これについてはいろんな意見があると思いますが、僕は合理的な処理だと考えています。
昨日もNHKで「除染マネー」をテーマにした番組が放送されました。
これまで除染にかかった費用が国の試算の4倍の5兆円。
東京電力には返す能力がないから、国民の負担になるのは目に見えています。
さらなる除染をしたところで、人口が減り職場もない故郷に、人が戻るのかという大きな課題があります。

覆水盆に戻らず。
起こした災害は、元にはもどりません。
どれだけ謝っても元に戻すことができません、
そこをはっきりと認めて、福島の将来を考える時期に来たのではないかと思います。

これまでの震災復興事業ではゼネコン、原子力関連産業が大きな収益を上げています。
原子力関連産業の復興事業参加なんか、ある意味マッチポンプでしょう。
そう思われても仕方ないです。
今後は、こういう従来産業依存の復興からの脱却が必要です。

新しい希望 福島イノベーション・コースト構想

大震災、原子力災害からの復興を目指して、経済産業省が中心になって、福島県浜通り地域に「イノベーション・コースト構想」というプロジェクトが立ち上げられました。
ハイテク産業を誘致して、浜通り地域の経済の活性化を図るプロジェクトです。

例えば南相馬市では、ロボットテストフィールドが建設され、2020年9月からオープンしています。
ここでは、ドローン、水中ロボットなどのフィールドテスト、開発・研究を行うことができます。
また、このほかにも、イノベーションコーストには、研究学園都市構想など、さまざまなプランがあります。

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引用:経済産業省ホームページ https://www.meti.go.jp/earthquake/smb/innovation.html

ようやくこういうプランが動き出したかという思いです。
新産業の誘致、ハイテク産業の創出、いいじゃないですか。
若いベンチャーが集まるような基盤整備、優遇策をどんどんやってほしい。
除染、廃炉を重視するより、若い人が働き豊かに住める環境整備を優先すべきでしょう。
この方が楽しいし、希望がある。

あとがき

最後に、皆さんは十分理解されていると思いますが、誤解を招くと困りますので書いておきますね。

福島県内の農地の除染は終わっており、また川にも海にも影響のある放射性物質は残っていません。
福島県産の農水産物には、まったく問題はありません。
関係の皆さんは、安全性に特に気を使っておられます。
福島産の米、果物、野菜、魚はとても美味しいです。

管理人は、この春から福島のプロジェクトに参加する計画です。
福島での美味しい食事が楽しみでなりません。

今日も最後までブログをお読みいただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

ShinSha

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