時の化石

ブログ「時の化石」は、アート、ミュージック、ライフハックなどを中心に数々の楽しい話題を提供します。

鎌田實 著『コロナ時代を生きるヒント』。本を読みながら、ふたたび「豊かな死」について考えた。

どーも、ShinShaです。昨日は、朝5時から車で出張に出かけて、往復約700kmの距離を一人で運転しました。おまけに、帰りは東名高速道路、大和トンネル周辺の大渋滞に巻き込まれた。渋滞が、実に疲れるんですね。ということで昨夜からぐたぐたになっています。

昼過ぎ。ベッドで本を読んでいたら、いつの間にか寝込んでた。奥さんが百円玉を探して、僕のコインケースの中をのぞいたり、バタバタしていて起こされた。百円玉で起こされた(笑)。いかん、ブログ書かなきゃいけない。一昨日から放置したままだ。

先日のブログ、『鎌田實 著『コロナ時代を生きるヒント』を読みながら、「豊かな死」について考えてみる。』は、日本チェルブイリ連帯基金事務局(JCF)公式アカウント、潮出版社の編集局長さん、編集部、他の皆さんから、twitter「いいね」を頂きました。おかげで、多くの方にあの記事を読んで頂くことができました。ありがとうございました。

やっぱりSNSというのは素晴らしい。小さいブログでも、頑張って記事を書かなければと思った次第です。もちろん、その後の記事はtwitterにスルーされ続けています💦このツンデレが止められない(笑)。

さて、潮出版社、鎌田先生の著書『コロナ時代を生きるヒント』を、続けて読みながら、本日のブログを書いています。

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鎌田實 著『コロナ時代を生きるヒント』潮出版社

愛犬の死の経験

前回の続きになります。
3ヶ月前、動物病院から、18歳の愛犬を引き取った僕たち家族は、家に戻って、一つのソファーを囲んで過ごしました。病院であれほど苦しんでしいた彼女は、柔らかな安心した表情に戻りました。家族の声、懐かしいにおい。自分の場所だったソファー。

僕らは、酸素マスクをあてて、だんだん呼吸する力が弱くなっていく愛犬と一緒に、約5時間の時を過ごしました。そして、彼女の呼吸が消えるように無くなり、体は冷たくなっていきました。

亡くなった日に、動物霊園でお葬式。火葬後、みんなで骨を拾った。正直にいうと、これでまでも、祖父母の葬式に立ち会ってきたけど、火葬した死体はいつも気味が悪かった。しかし、この日は、愛犬の骨までもが愛おしかった。泣きながら骨を骨壺に納めました。そして、今は、愛犬の遺骨といっしょに暮らしています。まだ、悲しみは消えていないけど、彼女の死は美しい記憶になりました。

前回のブログでは、鎌田先生の本を半分ほど読んで、「豊かな死」というのは、こういう死に方なんだろうなと僕はイメージしていました。

さらに、『コロナ時代を生きるヒント』を読み進めていきます。

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鎌田實 先生 オフィシャルサイトから転載

「ホームホスピス」の物語

宮崎県にある「かあさんの家」という、「ホームホスピス」の物語が、この本で、紹介されています。 僕は、「ホームホスピス」というケアがあるのを、この本を読むまで、知りませんでした。「ホームホスピス」とは、病があっても、自宅のような環境で最期まで暮らせる、民間のケア付き住宅のことです。

病人も、家族を心遣って自宅に帰りたいとは言えない。毎日の仕事や、様々な事情で、大切な人でも自宅でケアすることは難しい。「ホームホスピス」は、そういう家族のよりどころとなる存在かもしれません。

“本当の自宅ではないけれど、要介護の状態でも、最後まで安心して過ごすことのできる、もうひとつの家。”

“おもてなし”という意味の「ホスピタリティ」を語源とする「ホスピス」は、ヨーロッパで発展してきた、終末期患者への医療を中心とした総合的ケアのことです。 日本においては、病院での緩和ケア、つまり、病棟におけるケアがほとんどで、がん末期などの治療不可能な疾患の終末期ケアを指すのが一般的です。

私たちが行う「ホームホスピス」は、高齢になって病いを持ったり、思わぬ障害とつきあうことになったりした時に、自宅に限りなく近い環境で、最期の瞬間まで安心して過ごせる場所です。

その時間がたとえわずかであっても、その人らしい生活が尊重される、その人にとって安心できる居場所です。
全国ホームホスピス協会HPより転載

「ホームホスピス」では、何人かの入居者が、一緒に暮らし、家族も通ってくる。擬似家蔵ができ、ホームには生活もあり、においもある。そういう中で、終末期の患者は、家族が触れ合いながら、一緒に死を迎えていく。

親子にも不仲はあり、わだかまりもある。僕もよく分かる。死を迎える中で、お互いが、理解し合い、わだかまりも溶けていく。良い看取りができた家族の心の中には、肉親が生き続けるという。多くの死に立ち会った市原さんの「いつも思うのですが、どなたも一番いい時を選んで逝かれるなと。」という言葉は忘れられません。

丁寧に、死と向き合うこと、一人一人が生きた証を認め合うことが、「豊かな死」につながるのですね。本書には、「ホームホスピス」は病院に支配された「命」を取り戻す動運動だ、と書かれています。

僕には高齢の親が三人います。これから、もうすぐ、こういう経験をしていかなければなりません。大変参考になるお話でした。

生と死の間の物語

この本には、鎌田先生自身が現地で取材された、生と死のはざまにある様々な物語が書かれています。戦争や、災害による突然の死は、生き残った者にとって、容易には受け入れられるものではありません。

沖縄ではノロという祭祀、ユタと呼ばれる巫女が、現在も存在して、シャーマニズムが生き続けている。日本で唯一、地上戦を経験した沖縄では、四人に一人が亡くなった。死者の供養のためにも、生き残った人のケアのためにも、沖縄古来のシャーマニズムが必要とされたのです。

震災で亡くなった人への手紙が届く、岩手県陸前高田市の「漂流ポスト」の物語には、心を動かされました。亡くなった人を思い、手紙を書くことが、癒しへの第一歩となる。亡くなった人へのたくさんの思いがこめられた、手紙を受け入れてくれる「漂流ポスト」。「漂流ポスト」には、残された人たちが通うようになり、同じ悲しい経験を持つ人々の交流の場となっている。

東日本大震災で、多くの死者を出した石巻市では、多くの幽霊の目撃談が出た。町には死者があふれ、死がすぐ横にあった。ShinShaは震災後、約1年、石巻市に通って仕事をしていましたので、この実感が強くあります。沢山、被災地を見てきたし、地元の人たちから色々なお話を伺いました。

DNA判定で遺体が見つかって安堵する人、大切な人の死体が見つからない人たちの苦しみ。どう、死を受け入れていけば良いのか。繰り返し思い出し、偲び、語ることしかできない。

死を受容するということは、死んでいく者にとっても、残された人にとっても、大きなエネルギを伴うものなのだ。改めて感じました。
死というのは、それほど重い、大切なものなのだ。そして、すぐ隣にある。僕らは、今一度、認識する必要があると思います。

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「生と死」の油絵より。半分女性で半分鎌を持つ骸骨の絵 http://karapaia.com/archives/52251168.html

新型コロナウィルス感染拡大の中、僕らはどう死と向き合うべきか

そして、今、新型コロナウィルス は、日本中に感染拡大し続けています。
厚労省新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は、いまだに重症者以外のPCR検査は必要がないと言い続け、対策を地方に丸投げした。

そもそも国民の健康など考えていないのだ。

60歳を過ぎた僕らには、重症化して死に至るリスクは避けられない。
新型コロナウィルスの死は、あまりにも突然で、悲惨だ。志村けんさん、岡江久美子さんは、家族は面会もできず、遺骨となって家に戻った。この死に、どう向き合っていくのか。その答えは、まだどこにもない。

本の中で、多くの死に立ち合い、死について考えてこられた鎌田先生はこう書いておられます。「きちんと死に向き合えば、豊かな死を迎えることができる。僕はそう信じている。」

今から、恐れることなく、自分の死について、考えていくことが重要です。死について、家族や大切な人と語り合うことも、大切なことだと思います。

そして、もう一つ大事なことは、死を意識しながら、充実した毎日を送ることだ。

まとめ

鎌田實 著『コロナ時代を生きるヒント』を読みながら、再び、死に関する記事を書きました。
新型コロナウィルスの死は、暴力的に、突然やってくる。
僕らは、これから、恐れることなく、自分の死について考えていくことが重要だと思います。
今日もこのブログを訪問いただき、ありがとうございました。 今後ともよろしくお願いします。
ShinSha