時の化石

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曽野綾子『人間の義務』を読みながら。運命は最終的に人を差別しない。一生は今日一日の積み重ね。

どーも、ShinShaです。

今日は夕方まで、家にこもって仕事しました。外部に発表するパワーポイントに、ナレーションを入れてました。しかし、自分の声を聞くというのは、じつに嫌な作業ですね。

さて、この記事では、続けて、曽野綾子さんの本『人間の義務』を読みながら、書評やら考えたことを書きます。今日は久しぶりに涙が。。。

曽野綾子さんは、1931年生まれ、89歳です。この世代の人が作家をしていること自体が驚きです。しかも、この本は、ものすごく感動的であるが、なかなか一筋縄ではいかない。今日は、作者の才能を思い知らされました。

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曽野綾子『人間の義務』 新潮新書

曽野綾子さんについて

曽野綾子さんについては、前回のブログに詳しく書きましたので、今日は短く引用だけ載せます。

曽野綾子プロフィール

小説家。本名/三浦 知壽子(みうら ちずこ)。1931年9月17日~

東京都葛飾区出身。幼稚園から聖心女子学院に通い、聖心女子大学卒業。戦時中は金沢に疎開、1946年東京に戻り聖心女子学院に復学。

1951年5月、中河与一主宰の同人誌「ラマンチャ」に載った『裾野』が臼井吉見の目にとまり、臼井の紹介でのちの夫・三浦朱門らの第十五次「新思潮」に加わる。山川方夫の紹介で「三田文学」に書いた『遠来の客たち』が芥川賞候補となり23歳で文壇デビュー。以後、次々に重厚な問題作を発表していく。近年は評論が数多く出版され、ほとんどがベストセラーとなっている。1979年ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章、2003年に文化功労者。1995年から2005年まで日本財団会長を務めた。

引用:P+D MAGAZINE https://pdmagazine.jp/author/sonoayako/

曽野綾子『人間の義務』第二部

この本は二部に分かれています。「第一部 人間の義務」、「第二部 人生の光景」。今日は、第二部の内容について、記事を書いていきます。
戦争を体験し、僕らより長く生きてきた、89歳の女流作家が書く、『人間の光景』とは、どういうものでしょか。

万人には等しく訪れる疲労がある

第二部の最初の章には、ご主人、三浦朱門さんの晩年の様子、最期を看取った物語が書いてあります。しばらく前に書いた、「豊かな死」の物語です。

曽野さんは、好きな本がある自宅で最後まで暮らしたいという、夫の希望を叶えてあげたのです。

私は九十一歳の老人としては、そんなに先が長いはずはない、と朱門のことを思って、身をを削るほどの努力をして仕えた記憶はなかった。

それに、彼は、最期にたった九日間入院しただけで自分の生涯の幕を引いた。それ以前は自宅の本置き台のある部屋で、普段通りの生活をしてして過ごせた。入院した時、十五分くらい私といつもと同じユーモラスな会話をして、それを最後に昏睡に落ちた。こんなに恵まれた最後を遂げられたのも、日本が恵まれていたからだ。

作者はこの章を、私が救われたのは、人間の生活の苦労に限度も幕引きもあるのは、戦場の前線にも、登山や航海の途中にも、万人に等しく訪れる疲労があるからだと最近悟ったからである、と締めくくっています。

少し哲学的な、表現ですね。僕は、この部分を、「大きな苦労に疲れたからこそ、そこから離れることできる救いがある」、と理解しています。含蓄がある文章ですね。

一生は今日一日の積み重ね

この本の最後の章の冒頭は、「人生が残りわずかになってくると、自分の人生は果たしてこれで良かったのだろうかという疑いが、時々心に浮かんでくる」、と始まっています。続いて、筆者は「とにかく後数年で死ぬ前に、一応答えを出しておかなければならないのだ」、と書いています。

そして、いくつかのパラグラフを重ねた後に、重度の心身障害者持つ家族のエピソードが書かれる。一家にとっては、この障害者は大きな負担で、娘たちは荒れて、ヒステリーを起こすような場面もしばしばあった。

この障害者は、三十歳を少し過ぎて亡くなった。周りの誰もが、あの一家はこれで苦労が除かれたと考えた。しかし、残された家族には、途方もない虚しさが訪れた。重荷が取り除かれたのではない。生きる目的になっている力、中心に向かっている結束力の温かさが失われたのだ。
本当は誰にも必ず、その人がなすべき仕事がある。多くの場合、小さな仕事だ。人は一刻一刻その命令を感じているはずだ。

僕は、今、この文章を書きながら、感動で涙を止められない。これは神のような大きな視点から、つづられたエピソードです。誰にでも、等しく生きる意味はあるのだ。

本書の最後に書いてある文章を引用します。これが、最終章の書き出しに対するアンサーなのですね。

しかし、今日一日の生き方を決めるのはやはり自分なのだ。そして、今日一日が幸せで、明日も同じようなおだやかなものであり、それが長く続けば、その人の生涯は成功だったと言える。選ぶのも当人、結果を判断するのも当人だとなると、判定は公正のようだが、不満の持って行き所もなくなる。

一生は今日一日の積み重ねだ。だから、今からでも不満は修復できるとも言えるし、その全責任が自分にかかってくる恐ろしさにも気づかなければならない。

素晴らしい文章ですが、なかなか哲学的です。皆さんはこの文章の意味が、素直に理解できますか? 何だか、論理が循環しているような文章です。本書には多々こういう独特な表現があります。なかなかクセモノだ。

この意味は、「今日一日が幸せで、明日も同じようなおだやかなものであり、それが長く続けば、その人の生涯は成功だったと言える。そう考えなければ、結局は自分に返ってくる。何故なら、生き方を決めてきたのは自分なのだし、結果を判断するのは自分なのだから。」と解釈できないだろうか。

うむ。曽野綾子さん、まだまだ、お達者ですね(笑)。

人間の義務 (新潮新書)

人間の義務 (新潮新書)

まとめ

今日は、再び、曽野綾子さんの本『人間の義務』を紹介しました。正直にいうと、筆者のイタズラな論理展開に、かなり戸惑っている時に、いきなり感情をもっていかれました。まんまと作者の罠にハマってしまった気がします。

やはり、この本、素晴らしいです。激しく、おすすめします。

今日もこのブログを訪問いただき、ありがとうございました。
今日はブログを書いていて、本当に感動しました。
今後ともよろしくお願いします。
ShinSha

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