時の化石

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原田マハ『ゴッホのあしあと』を読みながら オーヴェルでのゴッホ最後の3ヶ月を追う

どーも、ShinShaです。

このブログは、僕の大好きなゴッホ の本とアートに関する記事です。今回は、原田マハ著『ゴッホのあしあと』を読みながら、オーヴェルでの、ゴッホ最後の3ヶ月にフォーカスしました。インターネット、ヴァン・ゴッホ美術館Websiteの情報から、ゴッホが最後の3ヶ月に書いた絵、ゴッホの暮らした宿など、ビジュアルな記事をお届けします。

筆者のご紹介

筆者、原田マハさんの略歴をご紹介します。山本周五郎賞新田次郎賞を受賞されているんですね。今、僕は、彼女の小説『たゆたえど沈まず』を読んでいるところです。とても、すばらしい作品です。

原田マハ

1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、2006年作家デビュー。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。ほかの著作に『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『たゆたえども沈まず』『常設展示室』『ロマンシエ』など、アートを題材にした小説等を多数発表。画家の足跡を辿った『ゴッホのあしあと』や、アートと美食に巡り会う旅を綴った『フーテンのマハ』など、新書やエッセイも執筆。

引用:https://haradamaha.com/profile

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原田マハ著『ゴッホのあしあと』幻冬舎文庫

原田マハゴッホのあしあと』から

この本は、彼女の小説『たゆたえど沈まず』の副読本として書かれました。今、『たゆたえど沈まず』を読んでいますが、小説というのは、登場人物に関する様々なリアリティの上に成立するものです。筆者は、この小説を書くために、研究者のようにゴッホの膨大な資料を調べたことがよく分かりできます。

ゴッホのあしあと』では、パリ→ アルル → サン=レミ→オーヴェルと、ゴッホ の足跡をたどって、ゴッホの生きた世界を探索していきます。この本から、他の本には載っていない、ゴッホに関するさまざまなことを知ることができました。

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フランス内のゴッホの居住地 元の地図は https://www.photo-ac.com/ からダウンロード

サン=レミから、パリ、オーヴェル=シュル=オワーズへ

サン=レミの療養所で回復したゴッホは、1890年5月に、パリにいったん戻ります。テオの家族とも、3日間、一緒に過ごします。以前、このブログで書いた「ゴッホを有名にした」テオの奥さん、ヨー・ボンゲルとも会ったのですね。

その後、パリから電車で1時間の距離にあるオーヴェル=シュル=オワーズという美しい村に転居します。転居についても、弟テオがすべて段取りをつけました。アート作品コレクターでもある、精神科医ポール・ガシェ医師にゴッホを任せたのです。

ゴッホは、宿屋 ラヴー亭の3階にある三畳ほどの部屋で、暮らします。Webで調べると、この建物は現存しているのですね。現在、この建物の1階は、観光客向けのレストランとなっています。この場所は、パリから近いので、観光スポットになっているのですね。インターネットを調べると、ツアーもあるようです。

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ゴッホが3ヶ月間過ごした宿屋 ラヴー亭 引用;https://www.webtravel.jp/fromparis/9931.html

ゴッホの死

ゴッホは、1890年7月27日、ピストル自殺を図ります。自殺の理由は、はっきりしていません。彼が撃ったピストルは発見されておらず、なぜ持っていたかも謎のままです。そのため、数年後に、アメリカでは、他殺説が生まれました。

ゴッホ夏至の頃の明るさが残る夜、ピストルで胸を撃ち、瀕死の状態でラヴー亭まで歩いて行って発見されました。その後、この宿屋の部屋で息を引き取りました。

ゴッホは、死の4日前に、弟テオに、このような手紙を送っています。「しかし、弟よ。君はコローの画商で終わるような人間ではない。君は僕の仲介を得て、いかなる困難なときにも微動だにしない絵画創造に加わったのだ。」。

ゴッホとテオとは、芸術を追い求める強い魂の結びつきがあったのです。ゴッホは、サン=レミで、自分の芸術が完成したと考えていたのですね。テオもそれを分かっていたはずです。そう思うと、僕には、彼の自殺が残念でならないのです。

葬儀を一人で取り仕切ったテオは、兄の死をきっかけに衰弱し、後を追うように翌1891年1月に、33歳で亡くなりました。亡くなった後、テオはオランダのユトレヒトに埋葬されました。後に、妻ヨーは、テオをオーヴェルにあるゴッホ の墓の横に改葬しました。筆者は、蔦に覆われた二つの墓では、二つの魂が一つになっているように思われた、と書いています。

筆者は、一番強かったのは、ヨー・ボンゲルかしれないと書いていますが、僕も同感です。ヨー・ボンゲルに、おさない子と、まだ誰にも価値が知られていない、ゴッホの作品の山を残して、夫は亡くなってしまったのです。そして、残された彼女は、やがて戦略的にゴッホを売り込んで、世界でも有名な画家にして行きました

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オーヴェルにあるゴッホとテオの墓"File:Graves of Vincent and Théodore Van Gogh.jpg" by Héric SAMSON is licensed under CC BY-SA 3.0

オーヴェル=シュル=オワーズで描かれた作品たち

オーヴェルにおける数々の作品

ゴッホはオーヴェル=シュル=オワーズでも、たくさんの絵を描いています。この土地で、彼が描いた代表的な作品は、『オーヴェルの教会』、『医師ガシェの肖像』でしょうか。僕は、たぶん、オルセー美術館展で、両方も実際の絵を観たことがあると思います。

『オーヴェルの教会』は、すばらしい作品ですね。この頃は、調子が良かったんでしょうね。構図、色彩のバランスも良く、緻密で美しい絵が描かれています。

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『オーヴェルの教会』、1860年6月、オルセー美術館収蔵、転載:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:L%27%C3%A9glise_d%27Auvers-sur-Oise.jpg

ゴッホ美術館には、オーヴェル=シュル=オワーズ時代の79点の作品が収蔵されています。今回、この中から、何点か選んで、ブログに掲載いたします。

オーヴェル=シュル=オワーズで描かれた中にも、すばらしい作品が多くあります。今回ご紹介する作品の多くは、Websiteで、僕が初めて観た作品です。

掲載した作品の中で、もっとも感銘を受けたのは『麦の穂』です。この絵はすごい。こんなゴッホ作品、初めて観た。細密に、生き生きとした麦が描かれている。サン=レミで自分の芸術を完成した後も、さらに自らを高めようとしていたことが、よく分かります。僕は、この絵が大好きになりました。

ヴァン・ゴッホは、この絵画を友人のポール・ゴーギャンに次のように説明している。「小麦の穂、青緑の茎、長くてリボンのような葉、緑とピンクの光沢の下にあるもの。小麦の穂はわずかに黄ばみ、縁はほこりっぽい開花によって淡いピンクになった。色は「風に揺れる穀物の穂のやわらかな音」を連想させる。」

引用:ヴァン・ゴッホ美術館による作品解説を翻訳

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『麦の穂』、1890年6月、ヴァン・ゴッホ美術館websiteから転載

続いて、描かれた『オーヴェルの城館のある日没の風景』、『ドビーニの庭』も美しい作品です。『オーヴェルの城館のある日没の風景』は、とても寂しく、美しい絵です。遠くにある家は光を失って、青くかすみ始めている。梨の木の濃いグリーンが空を際立たせている。空はブルーから黄金色にさまざま変化する。じっくり眺めていると、ため息が出るほど美しい。

『ドビーニの庭』はオーヴェルに住んでいた風景画家シャルル・フランソワ・ドービニーに庭を書いた作品です。ゴッホは、この画家の作品を愛しており、オーヴェル到着後、真っ先のドービニーの家と庭を訪問しました。

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『オーヴェルの城館のある日没の風景』、1890年6月、ヴァン・ゴッホ美術館websiteから転載

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『ドビーニの庭』1890年6月、ヴァン・ゴッホ美術館websiteから転載

1890年7月に描かれた『雷雲の下の麦畑』には、強烈な寂しさを感じます。精神的に何かの変化があったのでしょうね。動きがある雷雲が、無機質で強烈な寂しさを運んでくる。このブルーからはサン=レミの清らかなブルーとは、違う感じを受けます。

ゴッホは生涯の最後の数週間で、オーヴェール周辺の麦畑の印象的な絵画を数多く完成させました。暗い空の下で広がるこのフィールドはその1つです。 これらの風景の中で、彼は「悲しみ、極度の孤独」を表現しようとしました。(略) 雷雲の下の麦畑の細長いフォーマットは珍しいものです。単純な構成である2つの水平面が、風景の壮大さを強調します。

引用:ヴァン・ゴッホ美術館による作品解説を翻訳

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『雷雲の下の麦畑』、1890年7月、ヴァン・ゴッホ美術館websiteから転載

ゴッホの遺作をめぐって

ゴッホの遺作は、長い間、『烏のいる麦畑』であると言われていました。今年の春まで、僕も、そう信じていました。しかし、近年、この絵を書いた後に数作の作品を描いていたことが判明し、今では、ヴァン・ゴッホ美術館収蔵の『木の根と幹』が最後に描いた絵だといわれています。

僕は、『烏のいる麦畑』がゴッホの最高傑作だと思っています。じつは、このブログの最初の記事は『烏のいる麦畑』に関する記事でした。以前に書いた記事の一部をご紹介します。

この絵からは、全身全霊で描いているゴッホの魂が強く感じられます。
初めてこの絵を見たときは、激しい空と麦のタッチ、色彩にくらくらしました。
何かに幻惑されたように気分になり、強い衝撃を受けました。

青の色調の変化と、荒々しい筆のタッチで描かれた、激しい風が渦巻く嵐の空。
飛ばされないように、空を低く飛ぶカラスの群れ。
一部は畑に溶け込み、数羽はこちらに向かってきている。
風でびゅうびゅうと大きく揺れる麦と草むら。
小径は曲がり、行方は揺れる麦で見えなくなっている。

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『烏のいる麦畑』 1890年7月、、ヴァン・ゴッホ美術館websiteから転載

最後に、ゴッホの『木の根と幹』(未完成)をご紹介します。今年の8月に、ゴッホが、この遺作を描いた場所が発見されたニュースが出ていましたね。「美術手帳」のリンクを貼ります。

bijutsutecho.com

原田マハ氏の小説中の人物は、「こんなものまで・・・・描いていたのか」と発言しています。僕は、そうは考えません。きっと、ゴッホ のことだから、新しい絵の技法や、魅力的な絵の対象を探していたんだろうと思います。この下書きがどんな作品になるはずだったのか。この絵の完成作品が観たかった。

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遺作『木の根と幹』(未完成)1890年7月、ヴァン・ゴッホ美術館websiteから転載

あとがき

今回採り上げた、原田マハ著『ゴッホのあしあと』では、パリ→ アルル → サン=レミ→オーヴェルと、ゴッホ の足跡をたどって、ゴッホの生きた世界を探索していきます。この本から、他の本には載っていない、ゴッホに関するさまざまなリアリティな情報を得ることができます。この本、おすすめです。

ゴッホ最後のオーヴェル=シュル=オワーズ時代について、Web情報を調べて書いていたら、長文となっていました。インターネットはすばらしいですね。今回、Webで情報を調べて、ゴッホの滞在した宿、お墓、オーヴェル時代の知らなかった作品を見ることができました。彼の死の1ヶ月前に描かれた、何枚かの良い絵に巡り会えたことは、とても嬉しいことでした。

今日もこのブログを訪問いただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

ShinSha

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