時の化石

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「あの日」福島で起きたことをいつまでも心の中に留めておこう - 2023年春 福島県双葉郡にて -

どうもShinShaです。
今回は福島の話を書きます。

7年ほど前から、福島県の各地を訪問するようになりました。
最近は、原発事故の影響を大きく受けた双葉郡に行くようになりました。

震災後、もう10年以上が経っているのに、いまさら何でこんな記事を書くんだろう。
皆さんの中には、そう思う人もいらっしゃるでしょう。

福島では、あの災害は決して過去のことではありません。
県内には、まだ原子力発電所事故の大きな傷跡が残っています。

浪江町は、いまだに町内のほとんどが帰宅困難地域です。
そして、ようやく最近になって、復興に向かおうとしている町がいくつもあるのです。

僕らは、せめて福島で起きたことをずっと心の中に留めて、家族や友人に伝えていかなければと思うのです。

福島県内避難指示区域 2023年5月 福島県ホームページ から引用

双葉郡富岡町 駅周辺

2022年は出張で度々、福島県双葉郡富岡町を訪れました。
常磐線は2021年3月に全線開通し、富岡へは上野駅から直通で2時間50分で行くことができます。

駅の周辺は、未だ商店も少なく、最近になって食事のできる店がぽつぽつ出来てきました。
富岡駅は海に近いから、津波でこの周辺一帯は被害を受けたのです。

出張で来ていても、なかなか時間は取れませんでした。
いつかはこの周りをゆっくり歩いてみたいと思っていました。
2023年春、かなり寒い朝、駅の周辺を歩く時間を取ることができました。

駅の海側を撮った写真です。
この辺りは高さ20mの津波が来た。

周りには、まだ建物ひとつ建っていません。
ちょうど常磐線がやってきました。

何にも使われていない「空白」の土地の中を抜けて、駅から堤防に繋がる道を歩いていきます。
空が美しいなぁ。

前方に海が見えてきた。 寒いけど海まで歩いて行こう。

堤防から港まで降りてみる。
春の太陽の光を受けて、穏やかに輝く海は美しい。
今は平穏な海が、恨めしく見えてきます。

寒くなってきたので、ホテルへと引き返そう。
帰り道を少し歩くと石碑が見えてきました。
昨年はなかったから、きっと最近できたものだと思いました。

2023年3月11日建立、未だ建てられたばかりです。
石碑に書いてある文章を読んでみます。

碑の建つこの場所は「あの日」津波に濡れていた
故郷を襲ったのは自然災害だけではなかった

東京電力福島第一原子力発電所の事故によって
全町民が避難を強いられた未曾有の原発事故は
地域の営みや人と人とのつながりを破壊した

行方不明者の救助・捜索を充分にできなかった後悔
長い避難生活で心身ともに疲弊し失われた命へのやりきれなさ
今を生きる我々の胸には大きな傷が残っている
あれから十余年故郷富岡町はいまだ復興の途上にある

碑文に思わず涙が出た。

とみおかアーカイブミュージアム

次に、とみおかアーカイブミュージアムを訪問しました。
この施設は、富岡町の博物と震災・原子力災害を記録するためのミュージアムです。

とみおかアーカイブミュージアム
〒979-1151 福島県双葉郡富岡町本岡王塚760−1

建物に入ると2つのポスターが立てられています。
左のポスターは、この町の桜の名所、夜ノ森地区の2023年4月1日、避難指示解除を掲示しています。

今年4月に、ようやく立ち入れるようになったばかりなんですよ。
前日に夜ノ森地区に行きましたが、まだ、あちこちに立入禁止箇所がありました。
本当に解除なのかなぁ?

右のポスターは、2023年3月11日、福島第一原子力発電所の異変の情報を知り、非常灯を点けて行われた町の災害対策会議の写真です。

ミュージアムの館内に入ります。
高く掲げられた「富岡は負けん!」のメッセージ。
津波を再現したジオラマ、あの日止まった時計、津波でペシャンコに潰れたパトカーの展示。

この町の人たちが、自然災害と原子力災害という複合災害に遭ったこと。
複合災害により、自宅に帰れず、仕事を失い、先が見えない日々を送ってこられたこと。
胸が締め付けられる思いでした。

そして、一番記憶に残ったのが、エントランス近くで流されていたムービーに映った町民避難の映像でした。

3月12日、福島第一原子力発電所爆発の危機が近づく中、県からも国からも避難指示の連絡は来ない。
派遣されてきた東京電力社員も状況が分からない。
この状況の中で、町は情報を集め、隣にある川内村への全町民の避難を決めた。

延々続く、避難の車列。
避難路も避難計画もない。
これが、12年前の3月12日にこの町で起きたことです。

そして、福島原子力発電所1号機・3号機の爆発の後に、3月16日に郡山市へ全町民が避難。
すぐ町に戻ってこれる、そう思って家を出た町民も沢山おられたそうです。

富岡町東日本大震災原子力災害」の記憶と記録』

www.youtube.com

次に僕らは双葉町にある東日本大震災原子力災害伝承館に向かいました。

東日本大震災原子力災害伝承館

これが東日本大震災原子力災害伝承館の外観です。
すごく立派な建物ですね。

東日本大震災原子力災害伝承館
〒979-1401 福島県双葉郡双葉町中野高田39

建物の外には、津波で潰された消防車と双葉町に掲げられていた看板が展示されていました。

原子力豊かな社会とまちづくり」
この看板が皮肉にしか見えないのは、僕だけでしょうか?

伝承館の中の展示です。
原子力発電所事故が起きた当時の国・自治体などの動きを表したボード。
消防や自衛隊の人々は、早くから懸命の活動をしてくれています。

当時の県内新聞の写真から事故の危機感が伝わってきます。
福島第一原子力発電所事故は避難者数16万人という、未曾有の環境汚染事故なのです。

安全神話の崩壊〜対策を怠った人災」
よくぞ、この言葉を書いてくれた。

福島第一原子力発電所は防波堤の高さは足りず、非常用電源は地下にあり建設計画にも問題があった。

東北電力 女川原子力発電所東京電力 福島第一原子力発電所は、両方ともGEのマークⅠという原子炉を使っています。
しかし、東日本大震災震源に、より近い位置にある女川原子力発電所は大きな被害を受けなかった。

それは、なぜか?
女川原子力発電所福島第一原子力発電所より、基盤を5m高く建設したからです。
東北電力は、平安時代に起きた貞観地震の記録を調べていた。

東京電力も審査した国も、国民の安全を最優先することはなかった。
さらに、原発神話を垂れ流し、避難計画すらなかった。

2021年3月12日浪江町の映像。
この時は。もう、町の中心部には誰もいません。
町民全員が午前7時過ぎから、町内の西にある津島地区に避難したのです。

館内に福島県産農産物の価格の推移を示した展示がありました。
福島県産の農産物、海産物は放射性物質検査を行っ、て安全を確認した後に出荷されています。

福島県農林水産物・加工食品モニタリング情報】
https://www.new-fukushima.jp/product

震災後の風評被害で農産物の価格は一気に下がりしました。
その後、価格は少しずつ回復しつつありますが、「桃」は未だ他の地域との価格差が大きい。

原発事故は、今でも福島県内の経済活動にも影を落としています。
皆さん、品切れになるほど、福島の桃を食べましょう。

最後にもう一枚、会場に掲示されていた写真をご紹介します。
嘆き、苦悩、涙、悼み、祈り。
笑顔を失った人々の姿が、震災・原子力発電所事故の重大さを物語っていると感じました。

おわりに

今回の記事はかなり重い内容になりました。
数時間の映画やドラマの美談で、起きたこの現実を忘れてはならないと思うんです。

原子力発電所事故は、一度起きたら取り返しがつきません。
コミュニティも住民の暮らしも、根こそぎ破壊される。

除染に5兆円をかけても野山の放射能はそのまま。
これから廃炉デブリに幾ら費用がかかるのかも分からない。
この費用も十中八九、税金の中から払うことになるでしょう。

いつまでも、このことを忘れずに心に刻んでおきましょう。

合理的に政策を考えるドイツは日本の原発事故を見て、2023年4月に全ての原子力発電所を停止、脱原発を完了しました。
一方、こんなに重大な原発事故を起こした、この国の政治家はまったくノー天気。

国会の審議も、国民の議論もすっ飛ばして、ウクライナ戦争に乗じて、勝手に原子力発電所再稼働の方針を決めてしまいました。
しかも、設備の寿命など考えないで、業界のいうまま。

地震国日本で今後も原発の安全が保てるのか?
また、国防の観点でも、原発は重大なリスクとなるのは明らか。

怒りがこみ上げてきたので、ここまでにします💦
今日はここまでにします。
この国の行末が、ますます心配です。

ShinSha