どうもShinShaです。
久しぶりに美術展に行ってきました。
10月から上野の森美術館で始まった『モネ 連作の情景』展。
今回は、なんと美術展初日の女性陣で混み混みの中訪問したのです。
この美術展、展示されているのは100%モネの作品なのです。
モネは女性に絶大な人気がありますね。
この美術展では、初めて見る初期の作品がたくさん出展されていました。
やはりモネの絵は素晴らしかったです。
そして、二枚の睡蓮は記憶に残る美しい作品でした。
クロード・モネ プロフィール
クロード・モネは1840年フランス・パリ生まれの印象派画家。5歳のとき、一家で大西洋に面したセーヌ河口近くのル・アーヴルに移り住む。51年、公立中学校に入学。勉強は不得手であったが、画家のフランソワ=シャルル・オシャールから素描を学び、カリカチュア(似顔絵)を額縁屋で売り出す。このとき、風景画家のウジェーヌ・ブーダンに出会い、教えを受けて、初めて油彩作品《ルエルの眺め》(1858)を制作。ル・アーヴル市の展覧会に出品した。
59年、サロン出展を目指してパリに滞在。自由画塾のアカデミー・シュイスに入るが、61年、兵役でアルジェリアに赴く。入門したシャルル・グレールのアトリエで、オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらと出会い、ともに戸外制作をして自然の光の描写を探究。フォンテーヌブローの森で風景画の練習を重ねるうち、絵具を混ぜずに原色をすばやくキャンバスに並置させることで、鮮明な光を表現できる「筆触分割」の手法にたどり着く。
65年、サロンに初入選。続けて出品するが、当時は宗教画や神話画といったアカデミックな画題がよしとされており、落選を繰り返す。そこで自由な発表の場を求めてアトリエの仲間たちとグループ展を計画し、普仏戦争が終結した74年に第1回を開催。そこに展示されたモネの《印象、日の出》(1873)が「印象派」というくくりの由来となった。
「印象派」展で発表した作品は、多くが当時生活拠点としていたセーヌ河畔のアルジャントゥイで生み出された。のどかな田園風景画や妻と子供たちをモデルとした人物画には、家族への温かなまなざしと幸福感が表れている。いっぽう、近代化が進むパリへの興味は《ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅》(1877)などから見て取れる。
83年、ジヴェルニーに転居。フランスの海辺の景勝地を巡る。90年代より、天候の移ろいを伝える連作の手法を確立。連作「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」「セーヌ河の朝」を手がける。99年から制作を始めた代表的な連作「睡蓮」は生涯を費やして数多く描き上げ、晩年にはオランジュリー美術館を飾る「大装飾画」を完成させた。1926年没。
引用:美術手帳 https://bijutsutecho.com/artists/226
美術展『モネ 連作の情景』から
初期の作品
この展示会では印象派以前の初期の作品をまとめて見られたのが良かったです。
印象に残った絵をいくつかご紹介しますね。
このエリアは絵の撮影ができなかったので、creative commonsから画像を入手しました。
「昼食」は日本では初めて公開された作品です。
まるでルノワールの作品みたいですね。
Wikipediaを調べると、この作品を制作した時、二人は一緒に絵を描いていたようです。
パリのルーブル河畔。
精密に書かれた風景画です。
モネのデッサンは素晴らしいですね。
オーソドックスな作品ですが、建物を照らす光、河に映る橋梁の陰、見事に光を捉えています。
1870年に普仏戦争が勃発。
モネは兵役を避けるため、1871年までオランダ、イギリスに渡りました。
「ザーンダムの漁港」はこの頃に描かれた作品です。
モネは1870年にロンドン・ナショナル・ミュージアムでターナーの作品と出会い、研究したと言われています。
僕はターナーの作品に刺激を受けたことが、印象派の誕生に繋がったと考えています。
「ザーンダムの港」は印象派が誕生する少し前に描かれたものです。
日没に沈む港の風景。
上には夕暮れの空、波打つ水面に空の色が映って美しいですね。
この絵には、もうすぐ印象主義が生まれる予感を秘めていると感じました。
印象派以後の作品
ヴェンティミーリアは地中海沿岸、フランス国境に近いイタリアの街。
1883年12月、モネはルノワールと一緒に地中海沿岸に旅行をします。
風景の美しさに魅了され、翌年にも地中海沿岸を訪れています。
パステル画のように淡い青、緑…美しい色彩です。
1889年からモネは数回に渡ってロンドンを再訪します。
サバイホテルから見た、チャリング・クロス橋、ウォータールー橋などの連作に取り組んでいます。
日没を描いた作品のマジックアワーの淡い光はターナーの絵に似ていますね。
同時期に描いたチャリング・クロス橋の絵を見ても、これらロンドンの風景画はターナへのオマージュだと感じます。
モネは1883年4月にパリの西約80キロの郊外にあるジヴェルニーに移り、1926年に没するまでこの地で制作を続けました。
ジヴェルニーの豊かな自然、季節、そして庭園を描いた数々の作品がここから生まれていきます。
40代から人生の最期まで、ジヴェルニーで創作活動を続けたのですね。
モネが移住した三百人ほどの小さな村ジヴェルニーの雪景色。
雪は降り出したばかりでしょうか。
遠くの林、山までホワイトアウトで霞んでいます。
セーヌ川の秋の風景です。
ジヴェルニーには豊かな自然がありました。
目の前に水面があるような存在感がある水の表現です。
会場は混み混み💦
みんな睡蓮の絵を撮影しようとしています。
ルノワール邸の花の庭に咲く芍薬を描いた作品。
一面に咲き誇る花が美しい。
今回は2枚の睡蓮が出展されていました。
僕はこれまで何枚も睡蓮の作品を見てきましたけど、どの作品も美しいですね。
水の庭の絵は1895年からルノワールの作品に現れるそうです。
最初の一枚は比較的初期の睡蓮。
二枚目は晩年に近い睡蓮の作品。
二つの作品は二十年の時を隔ています。
暗い水面に浮かぶ深緑の葉、そして鮮やかな大ぶりの蓮の花。
この作品の美しさは見る者の心を捉えて離しません。
何度も振り返って見たくなりなりました。
(二枚の睡蓮の作品は、撮った写真の色彩があまりに実物と異なるのでネットからDL)
そして晩年に描かれた睡蓮の池。
水面のあちこちに浮かぶ睡蓮、赤い花。
手前の緑は柳でしょうか?
それとも水面に映った緑でしょうか?
この作品も素晴らしいな。
会場が暗く、撮影した写真は実物と色が大きく変わっていました。
やはり絵は実物を見ないと本当の美しさは分からないですね。
そして、今回紹介する最後の一枚。
池に浮かぶ睡蓮、辺りに咲く赤い薔薇、この豊かな庭園からモネの優れた作品は生まれたんですね。
ミュージアムショップに入れない💦
満員の美術館の中、何とか作品を見て、写真も撮ってきました。
何だか忙しくて、あまりじっくり鑑賞できなかったなぁ。
そしてミュージアムショップへ。
ミュージアムショップには外に出てと…
そこには長蛇の列。
係員はショップに行く人は列の最後に並んでくださいと。
係員と話をすると、当日の入場券がないとショップには入れないとのこと。
今日日、気の利いた美術館では入場券がなくてもミュージアム・ショップに入れますね。
アホらしいので苦情を言って帰りました。
せっかくモネの良い作品を見てきのにガッカリしました。
入場料(2,800円)も高いし、会場も狭いし、おまけにショップにも入れない。
初日に観に行った僕がバカなのかな。
おわりに
展示作品はすべてモネの作品。
これまで印象派以前の作品を見る機会はなかなかありませんでした。
これだけまとまってモネの作品を見られることは、しばらくないでしょう。
やはり2枚の睡蓮は素晴らしかったなぁ。
初めて見る初期の睡蓮の美しさは強く印象に残りしました。
どこかの美術展でもっと晩年の睡蓮の見たことがあります。
それはモネの視力がかなり低下した後に描いた作品でした。
まるで宇宙を描いたような素晴らしい抽象画でした。
モネが三十年近く描いた睡蓮の絵はどれも素晴らしいですね。
最近、どんどん美術展入館料が上がっています。
国力が弱くなるってこういうことなんですね。
国立博物館なんかは電気代さえ賄えなくってきているし。
ふう。
ShinSha