時の化石

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ベートーヴェン 交響曲第9番の感動的な物語

どうもShinShaです。
年末になるとTVやラジオからベートーヴェン 交響曲第9番(第九)が流れてきます。
スーパー等でも「歓喜の歌」のメロディを流しています。

実は昔から第九が嫌いでした。
クラシックファンっていうのは変わった人種だな。
年末なると仰々しく人生の喜びを歌うなんてどうかしてる、と思っていました。

昨年から僕はクラシックを再び聴き始めました。
そういえば百田さんが本で第九について書いていた筈だ。
そこに書かれていた感動的な物語が今回のテーマです。

先入観で判断してはダメですね(^^;;
第九は不遇な晩年にあったベートーヴェンが再起するために書いた感動的な作品でした。
そして、やはりいま聴いても至高の音楽です。
しかし年末に演奏することには違和感を感じるなぁ。

第九はなぜ年末に演奏されるか

第九がなぜ年末に演奏されるのかwebを調べてみました。
「学徒出陣」…ただならぬ話です。
日本人は大学生を戦争に送り出した暗い歴史を反省もせず、そのまま続けている訳なのか。

暗い気持ちになりました。
しかし、他の国では年末に聴く訳ではないし、何よりベートーヴェンに罪はない。
2つの説が書いてありますが、年末に演奏するのはやめた方が良いなぁ。
人気があるなら年末以外にも演奏すれば良いのです。

日本で年末の「第九」が定着した由来は諸説ありますが、有力なのは以下の2説です。
(1)1943年12月に上野奏楽堂で行われた学徒壮行音楽会で「第九」が演奏されたことに由来するとする説
学徒出陣で卒業を12月に繰り上げた学生たちの壮行会で「第九」の『歓喜の歌』が演奏されました。戦後、生還した学生たちが再び12月に「第九」を演奏し、帰らぬ仲間たちを追悼したといいます。

(2)戦後の貧しかったオーケストラが年末のボーナス獲得のために「第九」を演奏したことに由来するとする説
人気曲「第九」をやればお客が入る、アマチュア・コーラスならばコストを抑えられるし、チケットもメンバーがさばいてくれる、と良いことずくめ。
https://tower.jp/article/campaign/2014/ から引用

"Beethoven Grosse Fuge Op. 133 And Egmont Overture Op. 84 - Brahms Symphony No. 4 In E Minor Op. 9 Berlin Philharmonic Classical" by iClassicalCom is licensed under CC BY 2.0.

落目のベートヴェンが最後に書いたシンフォニー

ベートーベンが交響曲第9番を書いたのは53歳の時。
人気のピークから既に10年以上経ち、パトロンも友人も去り、経済的に困窮していました。
健康状態が悪く、若い頃から悩まされた耳の病気で聴力はほとんど失われていました。

百田さんの本『クラシックを読む2』を読んで知りました。
彼は失意の中で孤独な晩年を送っていた。
ベートヴェンのような天才でもこんな人生を送ったんだ。
人生というのは、一筋縄ではいかないものだなぁ。

第九の発表は不評だった交響曲第8番を書いてから10年が経過していました。
僕はベートヴェンが最後の勝負に出たのだと感じました。
1時間を超える楽曲、曲の構成、初めての合唱付き。
第9番には革新的な新しさが沢山盛り込んである。

"Vienna - Beethoven-Haus" by roger4336 is licensed under CC BY-SA 2.0.

やはり第九は至高の音楽

百田さんのエッセイに感銘を受けました。
これまでの自分を反省しながら、この数日、交響曲第9番をフルで聴いています。
3回聴いたら、この曲の素晴らしが分かってきました。

第一楽章の始まりは、カラフルで華麗なイメージですね。
これから始まる音楽の素晴らしさを高らかに歌い上げています。
指揮者フルト・ベングラーは第一楽章を「宇宙創生」を表現していると語っていたそうです。

第2楽章について、百田さんは暗い運命との闘いを表していると書いています。
しかし曲調に暗さを感じません。
希望をもって果敢に進んでいくイメージを感じます。
不遇な運命に打ち勝とうしている、ベートヴェンの心境を表しているようです。

一転して第3楽章は穏やかでシルキーで美しいメロディに溢れています。
溶けてしまいたいほど柔らかく美しい音楽。
夢見心地になっていると突然ホルンが鳴り響く。
そして再び柔らかい音楽に満たされる。

"Beethoven Complete 9 Symphoniesdigitally Remastered London Symphony Orchestra Prominence Records" by iClassicalCom is licensed under CC BY 2.0.

第4楽章はやはりこの交響曲の主題です。
冒頭は穏やかな第3楽章を断ち切るように激しい音楽が鳴り響く。
次に第1楽章〜第3楽章のメロディ、第4楽章の強い響きを数回繰り返します。

やがて弦楽器が「歓喜の歌のメロディ」を奏で始めると心が高鳴ってくる。
ブラスが鳴り響き、合唱が始まる。
「おお友よ、こんな旋律ではない! もっと心地よいものを、喜びに満ち溢れるものを歌おう」

ベートーヴェンが書いた歌詞です。
何と彼は、ここで第1楽章〜第3楽章までの音楽を否定する。
これから続く音楽こそが、この交響曲の真髄なのだと。

やはり交響曲第9番は、どこにもない最高の音楽でした。
健康を損ない孤独な苦しみの中で、彼はこんな音楽を書いたんだ。
しかも耳が聞こえないベートーヴェンは、すべてを頭の中で構成し書き上げたのです。
いろんな事を考えていると、涙が出るほど感動しました。

合唱のシラーの歌詞はいかにもゲルマン人らしいものだと思います。
現代の日本人には共感することは難しいな。
興味がある人は下記wikipediaの記事を参照ください。

歓喜の歌 - Wikipedia

生涯最高の成功

ベートヴェンの交響曲第9番の初演は大成功でした。
彼は最後の勝負に勝ったのです。
百田さんの本から感動的な場面の描写を引用します。

第九の初編は1824年、すでに完全に聴力を失っていたベートーヴェンが指揮しましたが、楽団員たちはベートーヴェンの横に立つ副指揮者を見ながら演奏しました。演奏を終わって観衆は大感動して割れんばかりの拍手を送りましたが、ベートーヴェンには聞こえず、アルト歌手が彼の手を取って、観客席に振り向かせました。

その時、聴衆が盛大に拍手している光景を見た彼は喜びのあまり気を失いかけます。これは彼の生涯最高の成功でした。私はこの初演の大成功は、音楽の神が苦難の生涯を送ったベートーヴェンの最後に与えた贈り物だったと思います。
引用:百田尚樹 著『クラシックを読む2』

しかし、この初演以降、第九の演奏はことごとく失敗します。
当時の楽団員の演奏技術ではこの曲は難しすぎたのです。
やがて、第九は演奏されなくなっていきます。

第九が世に知られるようになったのは、ベートーヴェンの死後20年後。
ワグナーがドレスデンで行った演奏がきっかけでした。
周囲の反対に負けず、第九を演奏プログラムに乗せ、ワーグナーは凄まじいリハーサルを繰り返して、見事な演奏を披露しました。
そして第九の素晴らしがさヨーロッパ中の音楽愛好家に認めらるようになりました。

演奏が難しい楽曲は、存続が難しいのです。
バッハの名曲「無伴奏チェロ組曲」もカザルスという天才が何年も練習して演奏を披露するまで、100年以上も世に知られていませんでした。
ワグナーのお陰でベートーヴェンの名曲が残って良かった。


"Wien - Beethoven-Denkmal" by C.Stadler/Bwag is licensed under CC BY-SA 4.0.

www.youtube.com

おわりに

第九の初演から3年後、ベートヴェンは生涯を閉じます。
第九以降に彼が書いた作品を調べると、弦楽四重奏曲6曲、室内楽曲が2曲でした。
弦楽四重奏曲は後期弦楽四重奏曲として知られる傑作です。

百田さんの本を通じて、僕は第九にまつわるドラマを初めて知りました。
曲は不遇な運命に打ち勝ったベートーヴェンの喜びに重なっている。
ベートーヴェンが最後の勝負に見事に勝利して良かったなぁ。
心の底から感銘を受けました。

2024年は第九の初演から200年。
改めてこの素晴らしい交響曲を楽しみたいと思います。

本文をそう閉じようとしていたら、2024年1月1日夕方、能登地震が起きました。
言葉を無くしたまま、丸一日TVのニュースを見続けました。

長い人生の中で人はいろんなことに出会う。
いつか心が静まったら歩き始めればいい。
きっと「歓喜の歌」に感動する日も来るでしょう。

年末に百田さんはガン宣告を受けたことを公表されました。
一日も早く回復されることをお祈りいたします。
ShinSha