どうもShinShaです。久しぶりに早稲田穴八幡宮に行ってきました。今年の1月、故郷にいる母親から身体御守がほしいといわれ、穴八幡に立ち寄った時から話は始まります。
早稲田で時々仕事をしているので、人気がある穴八幡宮にはきっと良い御守があるだろうと思いました。実際に行くまで人気の理由を知らなかった。何も分からぬままに列に並んで手にした御守を見て、穴八幡で販売している御守が、「一陽来復御守」という名の”金銀融通御守”だと知ったのです。
これを手に入れればお金がザクザク入ってくる??そんな訳ないでしょう。しかし知ってしまった以上、買わずにはいられません(笑)
そして、今度の冬も早稲田穴八幡宮を訪れることになったのです。
穴八幡神社一陽来復御守について
早稲田には寺社がいっぱいあります。今年読んだ中沢 新一著「アースダイバー」には、早稲田大学付近の土地は古来から死者を葬る場所であったと書いてありました。江戸時代の古地図を見ると、異常なほどこの一帯は寺社だらけ。本に書いてあるとおりでした。
穴八幡宮はそんな寺社のうちのひとつですが、この付近では一番人気なのです。穴八幡宮の創建は1641年、江戸時代です。思ったより新しい神社ですね。縁起はどこにでもあるようなストーリー。昔、仏像を見るために奈良の寺を巡っていたので、そう感じます。
冬至の日にお札を受ける人で賑わうことで有名な穴八幡宮は、康平5年(1062)前九年の役を平定した源義家が、凱旋の際ここに的山を築き、兜と太刀を納めて八幡神を祀ったことにはじまります(江戸時代初期に松平左衛門尉直次が射術の練習のため的山を築いたともいう)。
のちに、社僧良昌が草庵を建てようとして、ほら穴を発見。そこに金銅の阿弥陀如来像が立っていたといいます。当時、阿弥陀如来像は八幡神の本地仏とされて人々の崇敬を集めたことから『穴八幡』とよばれるように。こうして、江戸城の北の鎮護として将軍家の祈願所となりました。
昭和20年の戦災によって社殿その他すべてを焼失しましたが、現在なお境内に、区指定有形文化財の『布袋像水鉢』(見学できるのは複製の水鉢)などが残っています。
引用:https://www.kanko-shinjuku.jp/spot/kw-早稲田/article_332.html
穴八幡宮
〒162-0051 東京都新宿区西早稲田2丁目1−11
上の資料を読むと当時の神仏習合の様子が分かります。八幡神が阿弥陀如来の変化ってすごいですね。そして、穴八幡宮で江戸時代元禄年間から頒布しているのが、今回買い求めた「一陽来復御守」なのです。どうしてこの御守がこれほど大ヒットしたか、いつか謎を解き明かしたいと思います。
穴八幡宮は本当に不思議な神社ですね。六月末頃に「夏越しの祓え」はどんな様子かと見に行くと、人っ子一人いなかった。普通の八幡神社では夏越しの祓えは重要な神事ですが、ここでは行われていないのですね。穴八幡宮のメインイベントはあくまで冬至から節分の間の約40日の一陽来復御守の頒布。ほかの季節には眠ったように静かなのです。
一陽来復御守を2回買ってきた
ある理由があって、今年は穴八幡に2回、一陽来復御守を買いに行くことになりました。1回目に行ったのは12月23日月曜日、そして2回目は12月26日木曜日。訪問した時刻はいずれも11時半ころ。1回目は神社に入って出てくるまで40分。2回目は80分でした。流石に80分は辛かった。
折角なので、皆様には混み混みの穴八幡宮の風景をメインにお見せします(^^;; 年末でもこれだけ混むのだから冬至の日の朝から夕方はもっとすごいのでしょうね。
一の鳥居の下まで到着。誘導員が列の後ろはあちらです。あちらまで回ってくださいと言っています。列は早稲田大学文学部キャンパスの方向に伸びている。げっ、今日はめちゃ混んでいる (^^;;
ようやく一の鳥居をくぐり石段を登りました。なんとか境内に上がると恐るべき人の数。ここは大量の参拝者を手際よくさばき、販売所まで誘導する方法を心得ているので、混乱はありません。しかし、どれだけ時間がかかるのか。
ようやく販売所のところまでたどりついた。さあ、御守を買わなきゃ。皆んないっぱい買っていますね。5個、8個と買っている人もいる。あれは人に頼まれたのかな。それとも転売ヤー?? ググるとメルカリにいっぱい出ている。メルカリはある意味、確実に世の中を悪くしているな。僕は自分の分だけ購入。やっと一陽来復御守手に入れることができました。
御守を買ったら本殿で参拝。人が多いので本殿右手に迂回する列ができています。ここで帰る人も沢山いる様子。ああ、1回目はこんなに混んではなかった。
ようやく参拝を終えて帰れます。今回は2回もお参りができたということで良かったことにしましょう。賑やかな露店が並び、帰路の途中に布袋様の石像があります。これは江戸城にあったものを徳川家光が穴八幡宮に移した布袋像水鉢のレプリカ。
皆様は願いを込めてあちこちに触っています。これレプリカなんだけどなぁ。本物は本殿の中。ようやくすべてを終えて食事を食べに向かいました。2回目の訪問は帰るまで80分だった。ふう。
放生寺について
早稲田穴八幡神社の隣に放生寺という寺があり、ここでも同じような御守を販売しています。興味があるので少し調べてみました。webの情報では元々、穴八幡と放生寺は一体だったので放生寺の御守を”裏御守”として両方を買う通(つう)もいると書いてありました。
なるほど。そんな人までいるのか。Yahoo! 知恵袋には「江戸時代には放生寺が勢力を誇っており、放生寺の御守が先に配られていた」という説を書いている人もいた。これは調べなければいけませんね。
そう感じたので寺まで行ってきました。ここは真言宗の寺なんですね。境内には御守を買うために並んでいる人はいませんでした。立て看板の由緒書を読むと放生寺は穴八幡造営の際に別当寺として建立されたとあります。調べると穴八幡を管理するために置かれた寺ということです。神仏習合ですから、それ以降は一体となって時は流れていきました。そして、明治維新後の馬鹿げた廃仏毀釈政策で穴八幡と切り離されたのです。
本殿横に「一陽来復福御守」の看板が出ていました。ここの御守は”福”の字が違うのですね。由緒書には、この御守は江戸天保年間に初めて信徒に授与されたとあります。ということは、穴八幡神社の御守は、ここより150年ほど前に頒布されていることになりますね。公表されている資料を素直に読めば、Yahoo!知恵袋の情報は的外れということになります。謎が解けたので、僕は本殿でお参りをして帰路につきました。
一陽来復御守をおまつりできるのは年に三日だけ
1回目の訪問では、40分の滞在で一陽来復御守を購入できました。それから仕事を終えて、御守を手にいそいそ家に帰った。さあ、自宅のリビングにおまつりしよう。説明書きを見ながら貼り付ける方向を確認。
この御守はおまつりする方角も厳密に決められています。また、途中で落ちると効力を失うらしく、できるだけ早く穴八幡に返納する必要があるのです。
御守りを貼り付けるのは東側の壁か。前回とまったく逆なんだ。御守を白い台紙に貼り付け、椅子の上に登って東側壁の上方に画鋲で留めました。さあ、万事完了。これで新しい年を迎えることができるなぁ。満足して自分の部屋に戻りました。
ところが、早速ブログ記事を書こうと、御守の説明書きを読んでいると、こう書いてあった...
◯おまつりできる日時
冬至、大晦日、節分の内、いずれかの日が終わり翌日に変わる瞬間である夜中の十二時丁度
間違えた。大チョンボ (^^;;
そういえば前の御守は節分の十二時ぴったりに貼り付けたことを思い出した。なんということ。どうしよう...
結局、間違っておまつりした御守を返納し、もう一度新しい御守を購入しに行くことにしました。そのようなことで忙しい12月に2回穴八幡宮に行き、合計2時間もかけて一陽来福御守りを買ったのでした。
この金銀融通御守の効力を発揮させるためには、厳格な手順どおりおまつりをする必要があるのです。皆様、一陽来復御守をおまつりできるのは年間三日だけ、時刻は夜中十二時ぴったりなのです。他の日に貼り付けてはいけません。
購入した御守の写真を下に載せます。今回は一陽来復御守と一緒に福財袋も購入し、併せてご祈祷もお願いしました。
おわりに
ところで肝心のご利益はあったのかって?
これはご利益なのでしょうか。確かに個人の懐、会社の収益としては良い年になりました。商談自体は昨年からあって、それを今年販売したという流れでした。そして最近ちょっと嬉しいことがありました。10年前に開発して1円の売上もなかった製品に引合いがきて、来年の供給を目指して現在も対応しています。
僕は神も仏も信じていませんが、この流れは変えたくない。そんな思いがあってこの冬も穴八幡に行くことにしました。運命って不思議ですね。流れが悪い時は何をやってもダメ。でも時代のちょっとした変化で、諦めていたビジネスにもチャンスが出てくる。
いろいろありましたが、久しぶりに”努力は報われる”と信じられる年となりました。そういえば、ブログでは10月末から数本のオーディオ記事が”Google Discover”に掲載されるようになり、いまアクセス増加中です。これもご利益かな (^^;;
穴八幡宮の「一陽来復御守」を購入できるのは節分(2025年2月2日)まで。これを家の中に飾るタイミングは大晦日、節分の2回あります。興味がある人はぜひ早稲田までお出かけください。
大晦日が元旦に変わる十二時ちょうどに一陽来復御守をおまつりしなければなりません。今年はお酒飲めないなぁ。皆様、良い年をお迎えください。
ShinSha