どーも、ShinShaです。
今回は『古事記を読もう』3回目の記事です。前回は黄泉の国から、必死にイザナギが逃げ出したところまで。その後、どのように物語が展開していくのでしょう。今回は、古代神話でもっとも有名な二神、アマテラス、スサノヲが誕生します。
しかし、イザナミと死別した後、男神であるイザナギから、たくさんの子が生まれるのはなぜだろうか? 何か深い理由があるのだろうか。しかし神話だからねぇ。
古事記の面白さ
古事記は、およそ1500年前に書かれた現存する日本最古の歴史書です。語り言葉を生かした漢文体で書かれています。日本書紀は、古事記ができてから8年後に、本格的な歴史書を作ろうという動きの中で作られた正史です。中国に習って漢文体で書かれています。
古事記の魅力は、正史である日本書紀には書いてない、ヤマトに生まれた王権によって日本列島が統一される以前の物語が書いてあることです。ヤマト王権に、逆らって敗れた者たちの悲劇のドラマが生き生きと書かれている。これこそ、大河小説ではないか。
しかも、全てが空想の物語ではなく、関連する遺跡が発見されていたり、縄文文化とも関わりがあるのです。古事記とは何なのか。何が書かれているのか? 大きな興味を感じます。
By 田頭寛 - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=43972643
本ブログで古事記をご紹介する方法について
このブログでは、テキストとして、青空文庫『古事記』現代語訳 武田祐吉を使用します。この本は初版が1956年と古いので、副読本として三浦佑之著『読み解き古事記 神話編』朝日新聞出版 を使用します。副読本を使って、現代的な解釈を補ってもらうことにします。
ブログ記事の範囲は、個人的に興味がある、古事記の上巻、神話部分と致します。全文を読むのは、大変な労力となりますので、独断と偏見で、「重要だ」、「面白い」と判断した部分のテキストを引用して、その解釈と感想について記事を書いていくことにします。また、できるだけ、インターネットの特長であるビジュアルな記事としたいと思います。
少しずつ、古事記の勉強を進めていきたいと思います。興味のある方は、ぜひ、一緒にを勉強していきませんか。
Saigen Jiro - 投稿者自身による作品, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28353818による
古事記を読もう【その3】
禊(みそぎ)
黄泉の国イザナミから、ほうほうの体で逃げ帰ったイザナギは、禊(みそぎ)をします。日本最初のみそぎです。みそぎは、「水濯ぎ」が縮まって、みそぎになったと考えられています。穢れ(けがれ)を水で洗い流して落とす。それが、みそぎです。
日本人の宗教感では、みそぎはすごく大事です。現代になっても、悪いことが行ったり、悪いことを行ったりすると、みそぎを行って出直しをします。みそぎをして、チャラにする。まあ、こういう傾向は男性の方が強いようですが(笑)。
イザナギがみそぎを行った場所「筑紫の日向の橘の小門のアハギ原」として、宮崎市江田神社の池が有名ですが、神話のことですからね。副読本にはこの場合の日向は、九州の南ということで、宮崎県を指しているわけではないと書いてあります。
そして、みそぎをする時、身につけていた物から十二神、体を洗った汚れ(けがれ)から十一神の神が生まれます。下に図を示しました。
この中で、綿津見(ワタツミ)三神は安曇(あずみ)氏の神です。安曇(あずみ)氏は九州の志賀島を拠点とする海洋民族で、玄界灘を中心にして朝鮮、日本海に勢力を誇った。六世紀ごろには全国で活動していたとされています。信州の安曇野も、この民族が住み着いた土地の一つ。
またもう一つの重要な神は、大阪住吉大社に祀(ま)ってある住吉三神です。この神は海の守神、航海の守神で、かっては、神功皇后皇后とともに朝鮮半島を攻め上ったといわれている神。住吉三神は、天皇家の信仰が非常に厚い神なのです。
[テキストからの引用]
イザナギの命は黄泉の国からお還りになつて、「わたしは隨分いやな汚い国に行ったことだつた。わたしは禊(みそぎ)をしようと思う」と仰せられて、筑紫の日向の橘の小門のアハギ原においでになつて禊をなさいました。
その投げ棄てる杖によつてあらわれた神は衝き立つフナドの神、投げ棄てる帶であらわれた神は道のナガチハの神、投げ棄てる袋であらわれた神はトキハカシの神、投げ棄てる衣であらわれた神は煩累の大人(わずらいのうし)の神、投げ棄てる褌(ふんどし)であらわれた神はチマタの神、投げ棄てる冠であらわれた神はアキグヒの大人の神、投げ棄てる左の手につけた腕卷であらわれた神はオキザカルの神とオキツナギサビコの神とオキツカヒベラの神、投げ棄てる右の手につけた腕卷であらわれた神はヘザカルの神とヘツナギサビコの神とヘツカヒベラの神とであります。
以上フナドの神からヘツカヒベラの神まで十二神は、おからだにつけてあつた物を投げ棄てられたのであらわれた神です。そこで、「上流の方は瀬が速い、下 流の方は瀬が弱い」と仰せられて、真中の瀬に下りて水中に身をお洗いになつた時にあらわれた神は、ヤソマガツヒの神とオホマガツヒの神とでした。この二神は、あの汚い国においでになつた時の汚れによつてあらわれた神です。
次にその禍(わざわい)を直そうとしてあらわれた神は、カムナホビの神とオホナホビの神とイヅノメです。次に水底でお洗いになつた時にあらわれた神はソコツワタツミの神とソコヅツノヲの命、海中でお洗いになつた時にあらわれた神はナカツワタツミの神とナカヅツノヲの命、水面でお洗いになつた時にあらわれた神はウハツワタツミの神とウハヅツノヲの命です。
このうち 御三方のワタツミの神は安曇氏(あずみうじ)の祖先神です。よつて安曇の連たちは、そのワタツミの神の子、ウツシヒガナサクの命の子孫です。
また、ソコヅツノヲの命(みこと)・ナカヅツノヲの命・ウハヅツノヲの命御三方は住吉神社の三座の神樣であります。かくてイザナギの命が左の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は天照らす大神、右の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は月読の命、鼻をお洗いになつた時に御出現になつた神はタケハヤスサノヲ(建速須佐男)の命でありました。
以上ヤソマガツヒの神からハヤスサノヲの命まで十神は、おからだをお洗いになつたのであらわれた神樣です。
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Saigen Jiro - 投稿者自身による作品, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30798939による
アマテラス、スサノオの誕生
そして、もっとも尊い三神は最後に両眼、鼻を洗った時に生まれました。禊の最後に尊い三神が生まれてイザナギは大変喜んだ。アマテラス(天照大御神)は太陽の神。そしてツキヨミ(月読命)は月の神です。
月読とは、月齢を数える神の意味です。古代の農耕民族では、太陽よりも月を大事だとされる。月齢は農耕や出産、潮の干満に関わってくるからです。しかし、古事記ではこれ以降、ツキヨミは登場しません。
古事記は、アマテラスとスサノオ の対立の物語であるから、ツキヨミが登場する場所はなくなってしまったのです。
タケハヤスサノヲ(建速須佐男)は、素早く猛々しい神といった意味です。スサ(須佐)は地名に由来するという説もあったそうです。最近では、スサはススム(進む)、スサブ(荒ぶ)に通じる、行き過ぎてしまう、制御できない状態となってしまうことを表していると解釈するのが一般的になっています。
アマテラスは文字どおり、天に照りかがやくという分かりやすい意味です。女性の太陽神です。副読本にはこういう分かりやすい名前の神は新しく作ったものだろうと考えています。
日本書紀の第一巻には、オオヒルメ(大日孁)と別の名前が書かれており、天皇家の祖先神となることによって、新しい名前が付けられた。
この三人の神が生まれた時に、イザナギは大変喜んで、アマテラスには天(高天原)を、ツキヨミには夜を、スサノヲには海上を治めなさいと命じます。
言うまでもなくアマテラスは特別な神なのです。イザナギは首にかけてあった玉をゆらしながら授け、しかも分け与えた場所は神々がいる高天原です。
スサノヲはこれに抵抗し、髭が長く垂れ下がるまでの長時間、ずっと泣き続けた。この涙で緑の山は枯れ、涙となる水を供給するため、海や川の水は干されてしまった。乱暴な神たちは、ハエのように騒ぎ立て、地上ではあらゆる禍(わざわい)が起きた。
困ったイザナギは理由を尋ねると、スサノヲは、亡き母のいる黄泉の国に行きたいと答えました。イザナギは大変怒って、スサノヲを追放してしまいます。
原文にはスサノヲが行きたいといったのは「根の堅洲の国」と書いてあります。この解釈には諸説あるようです。
[テキストからの引用]
イザナギの命はたいへんにお喜びになつて、「わたしはずいぶん沢山の子を生んだが、一番しまいに三人の貴い御子(みこ)を得た」と仰せられて、頸(くび)に掛けておいでになつた玉の緒をゆらゆらと揺らがして 天照らす大神にお授けになつて、「あなたは天をお治めなさい」と仰せられました。
この御頸(おくび)に掛けた珠の名をミクラタナの神と申します。
次に月読の命に、「あなたは夜の世界をお治めなさい」と仰せになり、スサノヲの命には、「海上をお治めなさい」と仰せになりました。それでそれぞれ命ぜられたままに治められる中に、スサノヲの命だけは命ぜられた国をお治めなさらないで、長い髭(ひげ)が胸に垂れさがる年頃になつてもただ泣きわめいておりました。
その泣く有樣は青山が枯山になるまで泣き枯らし、海や河は泣く勢いで泣きほしてしまいました。
そういう次第ですから乱暴な神の物音は夏のハエが騷ぐようにいつぱいになり、あらゆる物の 妖(わざわい)がことごとく起りました。
そこでイザナギの命がスサノヲの命に仰せられるには、「どういうわけであなたは命ぜられた国を治めないで泣きわめいているのか」といわれたので、スサノヲの命は、「わたくしは母上のおいでになる黄泉(よみ)の国に行きたいと思うので泣いております」と申されました。
そこでイザナギの命が大変お怒りになつて、「それならあなたはこの国には住んではならない」と仰せられて追いはらつてしまいました。このイザナギの命は、淡路の 多賀の社にお鎮(しず)まりになつておいでになります。
"File:Meiji standing screen from Crow Collection 02.jpg" by Joe Mabel is licensed under CC BY-SA 3.0
引用:Utagawa Kunisada (歌川国貞) - [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=607166による
これまでの記事
これまでの記事のリンクを貼ります。 読んでない方は併せてお読みください。
連載記事『日本最古の歴史小説 古事記を読もう』(その1) 創世と日本が生まれるまでの物語 - 時の化石
連載記事『日本最古の歴史小説 古事記を読もう』(その2) イザナミの死にまつわるホラー・ストーリー - 時の化石
Saigen Jiro - 投稿者自身による作品, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61833735による
- 作者:三浦 佑之
- 発売日: 2020/10/13
- メディア: 新書
あとがき
今回は、古代神話の2代ヒーロ、アマテラス、スサノオの誕生までのお話でした。大きな盛り上がりはなかったですが、現存する神社や、歴史、儀式につながる重要な物語でした。みそぎというのは、1500年前からあった、大事な儀式なのですね。
そういえば、20年くらい前に、伊勢神宮の近くの五十鈴川で2月の早朝に、みそぎをした経験を思い出しました。フンドシ一丁になって、冷水に入る。何か悪いことをした訳ではありませんよ(笑)。 川は死にそうに冷たかったし、行くまで裸足で足がちぎれそうでした。
感想? ああいうものは、やるものではありません(笑)。終わった後、身につけた肌着の暖かさだけを覚えています。
さて、今後の構想ですが、副読本のボリュームからいうと、全部で20回くらいの連載になりそうです。できるだけ回数を減らしたいと思います。まだまだ、先は長いです。今後とも、ぜひ、アクセスをお願い致します。
今日もこのブログを訪問いただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
ShinSha
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